皐月の 淡いバラ

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どうしようもなく、カサカサしてしまう こころ。

  ――  それでも いいよ。

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本当の自分の想いを 言葉で伝えたいのに、

涙しか出てこない。。。

 ―― それでも いいよ。

やっと 見つけた 小さな あなたを

淡い 淡い ピンクで 

つつんであげる。

承認と

自己受容と、

あたたかさを。

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動き出すのを 待つ

「色彩」って本当に不思議です。

「色彩」に触れたり、表現することで、

すぐに気持ちに変化が表れる人もいれば、

「色を塗ったけど・・・、それで?」と、

その時変化に気づけなくても、それをしたことで、気がつけば早く抜けていたということもあります。

ぼんやり、窓の外の新緑の緑を眺めていたら、浮かんできたことがありました。

私の娘がアトピーだったおかげで、薬に頼らない手当法も勉強しました。

春の新芽は、冬の鈍った身体を刺激して、溜まった毒素を外に出すということなども学びました。

また、指圧や温熱療法などの、民間療法にも触れました。

いっぱいいろんなやり方があって、一つのツールだけで、こんなにもさまざまな考えが生まれ、それによって、さまざまなやり方が生まれるのか!と、感嘆した覚えがあります。

そのなかで、とても こころに残ったやり方があります。

それは、「やりすぎない」ということです。

指圧も、グイグイ押しすぎない。

(確かに、もみ返しは辛いですね…)

温熱療法も、あったまるまで やりすぎない。

ちょっと刺激して、本人の自然治癒力が動きだすのを待つ。

というスタンスなのです。

ここからヒントを得て「色彩」を考えるのなら、

「色彩」は、

こころのままに ぬることで

自分に必要な刺激を与えること

(どのくらいの刺激がいいかは、自分のこころが知っている)。

そして

こころの 自然治癒力が動き出すのを待つことでも

あるのかもしれません。

私は、意外とせっかちなので、

「色彩」を使うことで、すぐに効果を期待しがち。

でも、すぐに効果が表れないということは、

自分のこころにある色を表現することで、

こころの自然治癒力が刺激され、

自分なりのタイミングとテンポで

自分自身 自ら

動き出すのを待っているのだとしたら、

そういう 自分の こころの 再生力を

信じて 

「色彩」と遊びながら

待っていたいと思います。

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”お宝だぜ!”

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色彩心理の仲間たちとの勉強会。

より自由な自分へのアプローチとして、敢えて制約をつけてみる。

普段とは違った視点から、どんな自分の一面が見えてくるだろうか?

最後に創った作品のタイトルは、

「”お宝”が満載だぜ  」 

(インストラクターのキャラクターに影響を受けて、これまた久しぶりの自分の一面に遭遇!)

ひとつ目のワーク。私にとってのポイントは、今、持っている考え・イメージを、ちょっと横に置いて、もう一度角度を変えて観てみる。

すると、天と地がひっくり返った!

静と動。単色と多色。

夜が明けてきているのか、これから暮れようとしているのか、昼と夜が同時にある。

今まで、悲しみや苦しみの種だと思っていたことが、実は”お宝”(福の神)だった。

コペルニクス的転回!

考えてみれば、悲しいとき苦しいとき、ずっとずっと私から離れず、見捨てず、そばにいてくれたのは、その悲しみ、苦しみの種だった。

そして、ずっとずっと、私に寄り添い、ここまで連れてきてくれたのだ。

そして二つ目のワークで感じたこと。

あこがれだった、あなたも、私のなかにいて、心の支えとなり、自由に羽ばたく応援を、時を超えて していてくれている。

悲しみ色と、あこがれのあなたが、なぜか同じ色(紫)。

その不思議さ。

もう少し、時間をかけ、今日のワークと作品をじっくり味わってみようと思います。

大切な時間を、分かち合ってくれた仲間と、インストラクターと、読んでくれたあなたに、感謝です 

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特別公開講座「日本の色、再発見」

「色彩学校」特別公開講座

「日本の色、再発見 

      ~自然から生まれた癒しの彩り~」

講師:江崎泰子先生

雪の降るなか、青山まで出かけてきました 

カラーコーディネイト、カラーセラピー、パーソナルカラーなど、最近「色彩」に関することは、カタカナの横文字で表現されることが多いので、クールでおしゃれな感じがする反面、一生懸命勉強して身につけなければいけないような、そんな印象を抱いてしまう時があります。

ですが、

今日の講座を受けて、そんなことは、どこかへ吹っ飛んでしまいました!!

1000年も昔から、自然の中から生まれた、日本人ならではの色彩感覚を、ものすごく磨いていたのですね!!! (平安時代は貴族社会の中で、江戸時代は庶民の中で・・・)

また平安時代は、顔を見られるのは恥ずかしいこととして、扇で隠したり、御簾越しでの会話。姿かたちがわからないなかで、結婚相手を、素養や感性によって決められることが多かったのだろう話を聴いて、ビックリ。時代背景を考えれば、それは、感性を磨かなければ運命をも左右されてしまうことは、よくわかります。一生懸命磨いたことでしょう!

そして、その色彩感覚が、脈々と現代を生きる私のDNAのなかに、しっかりと受け継がれていることを知り、また日々自分が体感していることとつながりました!

そして色彩をとおして自分を表現し、色彩をとおして他者を感じ取るという「感性」は、今、アトリエでしている「色彩心理」の源でもあり、すでに日本人は昔からやってきたことであり、私たちの心の中にあるものなのだなぁと実感しました。

また、内面的なことばかりでなく、その色を作る染料も自然のものがほとんどで、薬効成分の含まれた薬草が多かったので、健康にも良かったのだそうです!

そういえば、ふと 今 思い出したことが…。

小学校高学年の頃、社会の自由課題で、日本の衣服の歴史を調べたことがありました。

そのなかで、とりわけ豊かな色彩を重ねた十二単衣に、とてもこころ惹かれたのです。

図鑑から、丁寧に十二単衣を、模造紙に色鉛筆を使って模写した記憶があります。

子どもであっても、無意識のうちに、そういう日本人の「重ね色目」という色彩感覚がすでにあったのでしょうね。気がついていないだけで、自分のルーツがしっかりこころの中にあったことがわかり、なんだかホッとします。

今日は、個人的にも、時を超える、とても大切な日です。

その日に、同じように時を超えて、ルーツである平安時代の人々を「色彩」を通して感じた、とても良い日になりました。

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金木犀色の季節になりましたね

朝、窓を開けると

金木犀の香りがしますね。

湿り気を帯びた 森の香りに混じり、

ふんわりと

やさしく。。。

秋は、どんな色ですか?

私にとっての 秋色は「オレンジ」

金木犀の花、柿、ハロウィーン、運動会、、、

なぜか、小学校の音楽の時間に習った

「あ~きの ゆーうーひーに」という歌(もみじ)も思い出します。

また「オレンジ」は、

子どもの頃、家族で夕ご飯を食べたときの夕陽の色を想起させ、

私にとって、家族の色でもあります。

最近は、ハロウィーンのおかげで、

町全体が、オレンジ色になります。

ヴィヴィットなオレンジの割合が増えると、

私は ちょっと息苦しくなります。

でも、夕陽のように全体を 淡く包まれるオレンジだと、

物悲しい…けれど、ゆったり休ませ、また明日ね…と

遥か彼方から、見守ってくれているような

そんな感じもします。

色彩には、二つ目の面があって、

外側から、心身に影響を与える作用

 (赤は交感神経を刺激するなど) と

自分のこころにある色を表現すること

 (自由に絵を描く、ぬり絵をするなど、内から外へ) で、

心身が元気になっていく作用があります。

色彩は、その人の体験や記憶に、深く結びついているので、

より 後者の色の作用(自己表現)の方が、

セラピー効果が高くなる感じが、

アトリエをしていて

また 自分自身の体験からも

そう、思います。

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休息

昨日の帰りに目に留まった色は「濃い紫」の花。

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おかしいな。昨日はもっと濃い色に見えたのだけれど…。

だけど、少し「薄くなった紫」に今朝も目が留まる。

心地よく、意識がすーーっと 焦点があうような感じになる。

今日の紫は、私にとって「休息」の意味のようだ。

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次に、目に留まったのは、菩提樹の葉。

ハートの形をした葉っぱが 私のお気に入り 

なんだか、ホッとする。

今日の緑は、私にとって「安心・安全」の意味のよう。

今日は久しぶりに、物理的にのんびりできるのだ。

色彩からみえる こころの欲求と、

予定とが、

ピッタリ タイミングが合っている。

休むことは、さぼっているかのように 

思ってしまいがちな私だけれど

今日は 安心して

のんびり 過ごします。

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深緑と、深青

いつものように、電車を待つホームから、

いつものように、眺めていた。

今日は、深い 深い 緑に こころ惹かれる…

しかも 高い 高い 大きな木に こころ惹かれる…

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高ければ、高いほど、根は地中深く張るのでしょう。

どこまでも どこまでも 落ちていく

その隣を、

ともに どこまでも どこまでも 落ちていく…

必ず、

落ちて行った先に

根の先っぽはあって、

その先っぽから、

勢いよく 吸いあげられ、

洗われ、

深い 深い 緑の葉の上で

たくさんの 陽の光を浴び

葉とともに

また地上に落ちて、

発芽する そのときを待つ。

深い 緑って、

そんな あったかく 愛しまれる 色なのかなぁ…

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今日は、深い色にご縁があります。

アトリエからの帰り道、

ふと見上げれば、

まんまるなお顔で、まんまるな瞳の黒猫ちゃん。

「帰りを待っていたよ。

 ボクから、プレゼントがあるからさ、楽しみにしていて。

 さ、

 知らない振りしているから、

 早く その道を通ってね。」

精いっぱいの 猫の寛大さで

私がそばを通るのを 見守ってくれた。

家の窓から、ふと見れば、

暮れていく 茜空に

濃紺の闇を

三日月が落とそうとしている

そういえば、

今日、珍しくクロワッサンを食べた。

知らなかったけれど

三日月…だったからかなぁ・・・

(三日月 → 仏語:croissant クロワッサン)

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八王子に越して来て

八王子に越して来て、しあわせだなぁと思う瞬間です。

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今朝も電車を待つホームの上。近く鎮守の森を眺めていました。日々木々はその色合いを変化させます。いえ、見ている私たちが、日々違うのでしょうか?

先日は、グリーンにとても惹かれましたが、今日は葉が落ちた枝が、ほのかにピンク色になっているように見え、その美しさにこころがあたたまりました。

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今日の夕陽も、本当にきれいでした。

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今日も1日、ありがとう 

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スモーキーグリーン

紅葉の時はあまり目に入らなかった竹が、とても鮮やかに飛び込んできました。

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アトリエへ行く途中、電車を待つ駅のホームから。

パステル系の空色に浮かぶ、沖縄の冬のような雲の下に、冬の淡い光を浴びて、その竹たちは、そよいでいました。

私の今日の気分は、クリスマスカラー(ヴィヴィットな赤と緑)よりは、この竹や空の色かな。冬の、ちょっとスモーキーな色も混じり、落ち着いてバランスをとろうとしている部分があるのかもしれません。

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赤 20091022

今まで、自分から求めて「赤」を選ぶときが2回ほどあった。

1回目は、20歳くらいのとき。

仕事も忙しかったが、スキルアップのための勉強もあって、毎日の睡眠時間は1時間30分くらい。
それが半年続き、さすがに体調がすぐれなくなった…。
1週間悩んだけれど、山のような仕事と勉強に埋もれながら、
それまで 「やらされ感」の強かった私は、
「来るなら来い! みんな受けてたってやる!」と開き直った。
そうしたら、すっかり体調が良くなった。

そのときは、真っ赤なショルダーバッグをお守りのように持ち歩いていた。


2回目は、22歳の頃。

仕事で係かえになり、今までチームを組んでやっていたことを、新しい場所で、新しい人とやることになった。
基本的には、自分のペースで出来るようになったので、精神的には楽になったけど、身体的には負担が大きかった。

そのときは、真っ赤なスカートを好んで身につけていた。

その後も、「赤」を何回か手にはしたが、好んで使うことはなかった。



ところが

最近、 「赤いジャケット」と出逢った。

出逢ってしまった!

自分で言うのもなんだけど、とってもよく似合っている、と思う(
もしかして、世間様の基準で言えば、年齢的には、真っ赤なんて 着るものじゃないのかもしれない。流行でもないし。。。。

だけど、

この「赤いジャケット」は、身にまとうと
心身ともに しっくりくるのだ。

光の加減で、緋色っぽかったり、青味かかった赤に見えたりする。それというのも、使っている糸が赤一色ではない。いろんな色が混じっている。
畑で育てたコットンを、ラオスの山の中で、1年に1回しか取れない染料で染めているそうだ。そんな貴重な糸を使い、細やかに織られた布で、丁寧に、純粋な創りたいという歓びのエネルギーで服が創られているという。


そういえば、20歳、22歳のとき、私は、世の中や世間様に、一人で立ち向かっているような気分だった。そのために、自分を主張し、切り開いていくための、怒りにも似た激しいパワーとして「赤」を必要としていたのかも。


だけど、今回の「赤」は違う。

たくさんのご縁のつながりがあって出逢えたジャケット。
その深いご縁を思いながら身にまとうと、
こころがとっても温かくなる。。。

ぬくもりを感じ、思わず、ありがとう。と言いたくなる。

大地の恵み、
原始的な、
本能的な、
根源的な、
私が<わたし>であることに直結するような、
そんな色のエネルギーのように感じる。

また節目に来ていると思う。

今回、私は「赤いジャケット」を着ながら、この時期をどんなふうに過ごしていくのだろうか。

とても楽しみな毎日

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