子育て・自分育て

子育ての先生は子ども

表題のタイトルにて、

新しいブログに記事を書きました。

FaceBookにて 

ブックチャレンジ7日間にチャレンジしたものから

ヒントを得て書いてみました。

こちらで ご覧ください。→新しいブログ

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自然療法家の 東城百合子先生のこと



東城百合子さんが、

2020年2月22日に、天に還られたと知りました。

ご冥福をお祈りいたします。

私の長年のバイブル

『家庭でできる自然療法』は

先生のご著書です。

20数年前、

娘のアトピーを

薬を使わないで良くしたい


と思って、出会った本です。

初めて本を広げたときのことを覚えています。

「いつの時代の話なんだ?」

そこに書かれている、ビワ、ゲンノショウゴとか

芋パスター、お灸とか

全然 知らないし!!!

お世話になっていた助産師さんに

「ビワの葉って どこにあるんですか?」と

尋ねたら、呆れた顔をされて

スルーされました(^^;)

そうです。

私は、

伝承とか、伝統とか、生活の知恵とか

そういうものから分断されて育った

へなちょこ日本人です。

でも、必死だったから

読んで理解できなくても

そこに書いてある手当て方が 

ぜんぜん できなくても

隅から隅まで 何回も読みましたよ。

そして

身体には ソフトとハードの面で温めることが大事なことと

消化、リンパ、血液、気持ちなどの循環が大事だという

この2つが よくわかりました。

そこから先は、

まだまだ ”人間”に洗脳されていない

”自然のまま”の

<娘>を先生にして、

いろんな方々や方法に出会い、

学んできました。

迷って 悩んだときは

先生の本を パラパラと 

必死に眺めました。

本をめくる風から

知恵が 私に伝わってくるかのようでした。

「食」とは全然関係がない

娘が 不登校になった時も めくりました😅

昨年、ものすごく体調を崩した時にも

パラパラめくり 

その風の行き先には

素敵な出会いがありました。

先生の本をめくるたびに

もしかしたら

なんの色もついていない

<生命そのもの> という

原点から

また始まるための

スイッチを

知らないうちに

押されているのかも

しれませんねか。

一度も お会いしたことがありませんでしたが、

また あちらの世界に伺いましたら

今度は 先生のお話を伺いたいなぁと思います。

感謝を込めて

 

 

 

 

 

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光を見つける目を育てよう

🎨

昨日、久しぶりに、お会いした末永さんから

先月、長崎で開催された末永胤生さんの

没後10年の個展の図録を見せていただきました。

案内のチラシをいただいた時は

ほのかな光の中に白い馬が描かれていて

その馬の描写から

一瞬 東山魁夷の湖のほとりを走る白い馬の絵を思い出しました。

🎨

でも図録を見て、びっくり!

光の中に 光の馬が、

キャンパス上のあちこちに描かれているのです。

光の中に光の馬、と言われると

光の中に 馬が埋もれそうな感じがしますが、

そんなこともなく、どちらも確かな存在がある。

さらに、馬同士は 一見無造作に描かれているようだけれど、

じっと眺めているうちに

それぞれが それぞれのストーリーを語り始め、

それぞれが、また 関わり合って

絵全体が、一つの物語のようになっているように見えます。

たぶん、その時々、観るたびに 

新しいストーリーが浮かぶんだろうなぁと

容易に想像できるような、

なんとも言えない、間合いを持った関係性です。

🎨

日常生活の中では、

「光」は、「あたりが暗くなってきたから、灯す」

というようなイメージが 私の中にあります。

だから、光と闇はセットのように思っている側面もあります。

🎨

一方、昼間に散歩していて

心惹かれる 花や樹木に会う時は、

光の中で 心惹かれる輝きに出会っています。

花や、樹木、そのものが発光している感じ。

🎨

そんなふうに見えるよねと、隣にいた友人に話をしたら、

「お釈迦さまのような感じですかネェ」とおっしゃる。

ああ、後光のようですか…、確かに。

🎨

人生、暗闇の中にいるような大変辛い時に

光を見出すのが なかなか難しいように、

多少の事はあっても 日々過ごせる当たり前の日常の中で

光を見出すのも これまた 難しい事だと思います。

日常にある その光を

末永胤生さんは 至る所に

見えていたんだろうなぁと思います。

そして その感動は

描かずにいられなかったのでしょう。

すごいなぁと思います。

🎨

実は、

そういう すごい人が

アトリエに たくさんいるんですよ。

子どもたちの 光を見る目、

そして 心惹かれる光を表現しようとする力を

絶やさないように、

応援団の養育者の方々とともに

大事に育てていきたいと思います。

🎨

末永胤生さんのサイト

http://suenagataneo.com

 

 

 

 

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アトリエ開設物語1

🎨

アトリエを開設した当初、

私は 人生に行き詰まっていました。

娘は、来年 早くも小学生になるという歳です。

結婚して親元から離れ

自分の家庭を持って暮らしているのだから

もっとのびのび自分の思うように生きていきたいのに、

物理的に離れて自由になっても

なかなか、心が自由になれません。

弟の自死もあり、自分のそれまでの 過去や存在が

根底から否定されたような気持ちでいました。

🎨

「自分がどう生きて行ったらいいのか」ということと

そんな悩んでばかりの自分が

「娘をどう育てたら良いのか」ということの間で、

それまで、哲学、発達心理学、宗教学、

スピリチュアル、モンテッソーリ、シュタイナーなど

いろいろな本を読み、勉強会などにも参加しました。

どれも 素晴らしいなぁと感動しても

自分には とてもできそうに思えず

しかも娘に拒絶されてばかり。

🎨

悩んでいる私をよそに

娘は どんどん成長していきます。

そもそも 母親が何をする人か

教科書に載っているような人物像は分かっても

実際、私にとって母親とは、父親とは

感覚的に どういう人のことをいうのかさえ

私の中にはありませんでした。

それなのに、良い母親ぶろうとしていたのだと思います 😞

そういうふうに、なっている私では、嫌だと

娘は、言っているようでした。

🎨

切羽詰まっていました。

🎨

そんな時、

私の心を瑞々しく 解き放てる場に出会ったのです。

(続く)

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子どもの誕生日のお祝いは どうされていますか?

🎨

皆さんは、お子さんや家族の誕生日の時は

どう過ごされていますか?

ご馳走を作って、プレゼントを用意したり、

あるいは、どこかテーマパークへ出かけたり、

旅行へ出かけたり…

何もしなかったり?

それぞれのご家庭で、工夫をくらしていることと思います。

🎨

今日は、娘の誕生日なので

私の場合のお話に、お付き合いくださいね。

🎨

唐突ですが、

私の子育ての軸は、「自己肯定感」です

娘が生まれた頃の未熟な母親であった私が、精一杯考えて、

子どもが大人になった時のことを想像してみました。

長い人生、良いことがあれば、それはそれで良いことでしょう。

でも時には、

悪いことがあったり、辛い時があったり、苦しいもあるでしょう。

そんなとき、

どんな力が育っていれば それらを乗り越えていけるだろうか?

その力があれば 究極の選択を迫られた時

生きることを選んでくれるようなもの。

生きていれば 

いくらでも 人生のやり直しはできるから、

その時に必要な力は何かと考えたのです。

それが「自己肯定感」でした。

🎨

それで、誕生日も 自己肯定感が育つような

面白いことをやろうと考えました!

🎨

もちろん、時間と手間があれば、

ご馳走とプレゼントも夫と協力して準備します。

娘は、アトピーで、食物アレルギーもありましたから

お祝いごとのご馳走は、誕生日に限らず

すべて、ちらし寿司にしました。

娘が食べられる食材を使って作ることができますし

季節の食べ物で、いくらでもアレンジがききます。

成長に伴って、食べられるものが増えれば、

それも加えり、さらに楽しみが増えます。

🎨

話を元に戻しましょう。

自己肯定感を育むような

誕生日にする面白いこととは、

いろいろ方法はあると思いますが、

私は、娘が、生まれた日のことを、

毎年「語って聞かせる」ことにしました。

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年齢に合わせて、

語り方や話す範囲は変わりますが、

毎年

「出産の朝、どんなにあなたが

 生まれてくることを待ち望んでいたか。」ということと

妊娠中、出産、その後の育児の大変さを

吹き飛ばしてしまうほど

「こんなに大きくなって嬉しい」ということを話します。

毎年聞く話なのに、娘は、とても嬉しそうに聴いています。

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誕生日の朝は、「おはよう」と挨拶しますが

「まだ生まれていないから、おめでとうは言わないよ!」と

茶目っ気いっぱいの表情で言うことからスタートします!

「夜だもんね!」と生まれた時間を覚えている娘。

良いことばかりではなく、大変なことも話します。

朝は、微弱陣痛があって、台所で椅子に座ったまま寝ていたとか、

その後、ご飯を炊いて、おむすびを作ったとか、

朝焼けの中散歩に行ったとか、

助産院近くの、○○というところでお昼ご飯を食べたとか、

覚えている限り全部です。

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そして、なかなか生まれてこなかったこと。

希望した助産院で産めず、

提携している個人病院での出産になったこと。

初めての先生で、初めての場所で、

陣痛をつける薬も服用していましたから

ほとんど パニック状態だったこと。

そんな大変なことを乗り越えて、

やっと 出産の瞬間の話がやってきます。

産声は猫のようで、

手を握って「がんばったね」って声をかけたんだよ。

新生児室に様子を見に行くと、

泣いていたかなと思ったら、周りを見渡し、

誰も来ないのがわかると、また泣き出したこと。

助産院に挨拶に行ったら、

助産師さんの娘さんに抱っこされて

しばらく手元に返ってこなかったこと。

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産後の育児も、大変でした。

夜泣きが毎晩3時間だったり、

毎晩、お腹の上に乗せて寝てた理、

授乳は15分おきだったり、

紫色の肌をしていたり、

体重が増えなかったり、

公園では 日向ぼっこしながらよく寝ていたり、

歌や音楽に合わせて揺らしていると機嫌が良かったり…。

あまり、周りにいないような赤ちゃんだったので

ひとつひとつ手探りで、

娘をよく観察しながら 育てていくことで必死だったことなど。

その後の、娘の天使のような言動を話したり、

小さなことをたくさん、思い出す限り 話しましたね。

🎨

さらに、ドラマをいくつも いくつも乗り越えて、

また誕生日が来たね。

おめでとう!

🎨

 

 

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冬至を控えて

🎨

もうすぐ、クリスマス 🎄

今年は、イブも、クリスマスの日も

家族は仕事があって

集まれないので、

早々 お祝いしました。

🎨

クリスマスというと

私には、冬至のお祭りのような印象が

何故だか 強いのです。

一番 昼が短く、夜が長い日である冬至。

そんな時期に 

神の子のイエスが生まれ 

新しい光が、世界に射し始めた というような印象です。

🎨

実は、私の誕生日が、年末近くにあります。

年末は忙しくて、誕生日のお祝いは

2月にある弟の誕生日と一緒にしていました。

それは 子ども心には とても寂しいものでした。

せめて、誕生日当日は、口頭だけで良いから

「お誕生日おめでとう」と親から言ってもらいたかった。

自分の存在を確認する日でもあったのです。

でも、その願いは一度も叶いませんでした。

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さすがに 人の親になっても

そんなことを 親に欲しているわけにはいかず

辛い記憶を手放す決意をしました。

自分で 自分の誕生を祝おう!

そして、生まれてきたこと、ここまで生きてこれたことを

感謝する日にしようと 決めました。

そして 何でもいいから 自分なりに儀式にして

その決意を揺るがないようにしようと

毎年、自分の誕生日には

一宮の神社にお礼参りをすることにしました。

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しばらく 続けていると

だんだん 自分の誕生日が 

自分らしく感じられるようになりました。

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「誕生日はいつですか?」と聞かれたら、

「冬至が過ぎて まだ世の中は真っ暗だけれど

 かすかな光を感じ始めている頃に

 生まれました。」と

答えるようになりました。

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そう、真っ暗な辛い記憶の中にあっても

まだ、その姿は見えないかもしれないけれど

その根底には、光が内在していることを

私は、確信したくて 

そんな体験をしたのかもしれません。

🎨

どんな時にも 生きて行くことを

選び続ける人になって欲しい と

アトリエに通う子どもたちにも

祈り続けています。

🎨

ということで、

我が家のクリスマスは

みんなそれぞれ 大小あるけれど

大変なことを乗り越えて

家族がなんとか生きていることに

感謝する日になっています。

🎨

 

 

 

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小雨降る こんな雨の朝は

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久しぶりに 雨の降る朝です。

 

今まで 雨の降る日は、

 

朝 なかなか目が覚めず

 

1日中、意識が ぼんやりとして

 

身体が 重くてだるい、

 

あるいは、偏頭痛に悩まされていました。

 

🎨

 

仕事や家事、育児に伴う様々なことなど

 

やらなければ ならないことが たくさん。

 

無理やり 動いて

 

なんとか 1日を終えるのがやっと、

 

という状態の私でした。

 

🎨

 

でも、最近は、

 

ありがたいことに

 

お天気に あまり影響されずに

 

朝 目覚めることができるようになりました。

 

🎨

 

体調によっては、目覚めの意識が 

 

ぼんやりすることはあっても

 

その日の 体操を始めると スッキリ!

 

🎨

 

体操というと、

 

決められた形に、

 

決められた方向へと動かさないといけない、

 

でも そうできない! といった 

 

心や身体の 硬さが 起きてしまうほど

 

私は 苦手でした。

 

知らないうちに 苦手意識を 

 

強く持ってしまいました。

 

🎨

 

ところが、体操と感じさせない 

 

笑い満載の

 

不思議な体操に出会ったおかげで

 

本当の意味での 身体の 良い状態を

 

知ることになり

 

本当の意味での 身体の心地良さを

 

感じるようになりました。

 

🎨

 

体操は 苦手なはずだけど

 

この体操をすると そのあとの 心地良さを

 

知っているから

 

味わいたくて 体操しようという気持ちになります。

 

🎨

 

それが 立腰(タテゴシ)体操です。

 

自分の身体と対話して

 

今、やりたいなぁと思う体操を選んで

 

体操します。

 

1分もかからない 短い体操もあります。

 

🎨

 

自然に体操したくなってしまうから

 

日常生活の中で 

 

信号待ちとか トイレに立つときとか

 

ちょくちょく 身体と対話して

 

体操する時間を見つけて

 

体操したくなってしまう。

 

🎨

 

身体の機能が すぐに整うので

 

疲労物質がすぐ流れていきます。

 

リセットされるので

 

回復力は 半端なく高い。

 

🎨

 

それは 先日の びわ湖のほとりを

 

100km歩いた体験で 実感しました。

 

🎨

 

こんな経験ができたのも

 

運動不足の私に

 

渋っていた 身体を動かすことへの

 

スイッチを押してくれた方がいるおかげです。

 

そのうちの お一人が 

 

今日の夕方から アトリエに来てくれる

 

パパさん家族です。

 

🎨

 

パパさんは、今年の3月、

 

初めて東京マラソンに参加して完走。

 

長距離のマラソンは 初めてのチャレンジだったそうです。

 

そして 12月には湘南マラソンを走るそうです。

 

🎨

 

いろんなことが いろんな方向へつながって

 

お互いに 良い刺激を与え、受けあいながら

 

生きているんだなぁと

 

素直に 思えるようになってきた

 

この頃です。

 

🎨

 

パパさん家族に 感謝を込めて

 

 

🎨

 

 

 

 

 

 

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アートすることは・・・

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健康じゃないと いい音が出ない。

どんな音が良いか悪いか、

そもそも 良い悪いと 二極化してスタートするところからして

誤った前提を持っているのかもしれないけれど、

楽器本来の音を引き出すには、

私自身も 心身ともに 健康であることが大事。

でも どんなに自分を整えて、無になろうとしても

所詮、「私」というのフィルターがかかってしまうのは避けられない。

今の 私の全てが、音になってしまう。

🎨

逆の見方をすれば、

音を聴くことで自分の心身の状態がわかるので

自分にとって必要な手当てがわかるし、

場合によっては、楽器の音によって

元気になることもある。

絵を描くこと、工作することも同じ。

料理することも、掃除することも同じ。

生きていることとも 同じ・・・というところまで 行き着くのだろう。

🎨

アートするとは、特別なことじゃない。

今 椅子から立とうとする時、

自分の身体の声に 耳を澄ませて 立ち上がる。

外から見れば、ただ 椅子から立つ動作としか見ないだろうけれど、

見えない内なる身体の声を聴く。感じる。

これも アートだと思う。

声を聴くことで 次の行動が決まる。

これを 絵を描くこと(目に見える動作)に置き換えれば、

自分の心や身体、感覚を聴く(目に見えない内なる声)。

そして 次なる動作が決まり、うまくいけば 最後に作品が出来上がる。

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もっと言えば、一瞬一瞬 聴いて 動いてを繰り返すことは、

今を生きることにつながっていると思う。

🎨

 

 

 

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新元号の発表について感じたこと

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新元号の発表がありましたね。

典拠は日本最古の歌集「万葉集」の巻五 三十二首の序文からだそうです。

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美しく心を寄せ合う中で 文化など

生まれ育つという意味だそうです。

🎨

”心”も 

喜怒哀楽、様々な感情を感じる柔らかさを持っていないと

寄せ合うこともできません。

また、芯がしっかりしていないと

寄せ合う”心”が ありません。

この「令和」という新元号になった経緯の説明を聞きながら、

ますます 柔らかな心が 育まれていくよう

アトリエ活動も ゆったり ほっこり 時には激しく

子どもたちや 親御さんの 心に 寄り添いながら

やっていこうと 心新たにした 1日でした。

🎨

Dsc_0331

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20190329 卒業生ーその後

3月は、思いがけなくアトリエ卒業生から招待いただき

吹奏楽の演奏会(中学生、高校生2人)、

ミュージカルの公演(大学生1人)へと行ってきました。

🎨

小さい頃、アトリエで 作りたいものに没頭し

五感とともに 心から表現する創作を経験した彼ら。

周りと調和している(確かに世界とつながっている)けれど 

自然体な 彼らの表現も光っていて

魅入ってしまうという姿を

まじまじと見せられました。

🎨

アトリエで培ったものが アトリエを離れても

何かに取り組むときに役立ち

彼らの人生に深い味わいをもたらしている様子を確認できて

本当に良かったです。

そして 親御さんたちが

アトリエの主旨を反映した環境を 

ご家庭でも その後作り続けてくださったこともお聞きして

親御さんたちのご苦労とともに

愛情の深さを感じました。

🎨

これからも 応援しています。

本当にお招きいただき ありがとうございました💕

 

 

 

 

 

 

 

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