子育て・自分育て
自然療法家の 東城百合子先生のこと
*
東城百合子さんが、
2020年2月22日に、天に還られたと知りました。
ご冥福をお祈りいたします。
*
私の長年のバイブル
『家庭でできる自然療法』は
先生のご著書です。
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20数年前、
娘のアトピーを
薬を使わないで良くしたい
と思って、出会った本です。
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初めて本を広げたときのことを覚えています。
「いつの時代の話なんだ?」
そこに書かれている、ビワ、ゲンノショウゴとか
芋パスター、お灸とか
全然 知らないし!!!
*
お世話になっていた助産師さんに
「ビワの葉って どこにあるんですか?」と
尋ねたら、呆れた顔をされて
スルーされました(^^;)
*
そうです。
私は、
伝承とか、伝統とか、生活の知恵とか
そういうものから分断されて育った
へなちょこ日本人です。
*
でも、必死だったから
読んで理解できなくても
そこに書いてある手当て方が
ぜんぜん できなくても
隅から隅まで 何回も読みましたよ。
*
そして
身体には ソフトとハードの面で温めることが大事なことと
消化、リンパ、血液、気持ちなどの循環が大事だという
この2つが よくわかりました。
*
そこから先は、
まだまだ ”人間”に洗脳されていない
”自然のまま”の
<娘>を先生にして、
いろんな方々や方法に出会い、
学んできました。
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迷って 悩んだときは
先生の本を パラパラと
必死に眺めました。
*
本をめくる風から
知恵が 私に伝わってくるかのようでした。
「食」とは全然関係がない
娘が 不登校になった時も めくりました😅
*
昨年、ものすごく体調を崩した時にも
パラパラめくり
その風の行き先には
素敵な出会いがありました。
*
先生の本をめくるたびに
もしかしたら
なんの色もついていない
<生命そのもの> という
原点から
また始まるための
スイッチを
知らないうちに
押されているのかも
しれませんねか。
*
一度も お会いしたことがありませんでしたが、
また あちらの世界に伺いましたら
今度は 先生のお話を伺いたいなぁと思います。
感謝を込めて
光を見つける目を育てよう
🎨
昨日、久しぶりに、お会いした末永さんから
先月、長崎で開催された末永胤生さんの
没後10年の個展の図録を見せていただきました。
案内のチラシをいただいた時は
ほのかな光の中に白い馬が描かれていて
その馬の描写から
一瞬 東山魁夷の湖のほとりを走る白い馬の絵を思い出しました。
🎨
でも図録を見て、びっくり!
光の中に 光の馬が、
キャンパス上のあちこちに描かれているのです。
光の中に光の馬、と言われると
光の中に 馬が埋もれそうな感じがしますが、
そんなこともなく、どちらも確かな存在がある。
さらに、馬同士は 一見無造作に描かれているようだけれど、
じっと眺めているうちに
それぞれが それぞれのストーリーを語り始め、
それぞれが、また 関わり合って
絵全体が、一つの物語のようになっているように見えます。
たぶん、その時々、観るたびに
新しいストーリーが浮かぶんだろうなぁと
容易に想像できるような、
なんとも言えない、間合いを持った関係性です。
🎨
日常生活の中では、
「光」は、「あたりが暗くなってきたから、灯す」
というようなイメージが 私の中にあります。
だから、光と闇はセットのように思っている側面もあります。
🎨
一方、昼間に散歩していて
心惹かれる 花や樹木に会う時は、
光の中で 心惹かれる輝きに出会っています。
花や、樹木、そのものが発光している感じ。
🎨
そんなふうに見えるよねと、隣にいた友人に話をしたら、
「お釈迦さまのような感じですかネェ」とおっしゃる。
ああ、後光のようですか…、確かに。
🎨
人生、暗闇の中にいるような大変辛い時に
光を見出すのが なかなか難しいように、
多少の事はあっても 日々過ごせる当たり前の日常の中で
光を見出すのも これまた 難しい事だと思います。
日常にある その光を
末永胤生さんは 至る所に
見えていたんだろうなぁと思います。
そして その感動は
描かずにいられなかったのでしょう。
すごいなぁと思います。
🎨
実は、
そういう すごい人が
アトリエに たくさんいるんですよ。
子どもたちの 光を見る目、
そして 心惹かれる光を表現しようとする力を
絶やさないように、
応援団の養育者の方々とともに
大事に育てていきたいと思います。
🎨
末永胤生さんのサイト
http://suenagataneo.com
アトリエ開設物語1
🎨
アトリエを開設した当初、
私は 人生に行き詰まっていました。
娘は、来年 早くも小学生になるという歳です。
結婚して親元から離れ
自分の家庭を持って暮らしているのだから
もっとのびのび自分の思うように生きていきたいのに、
物理的に離れて自由になっても
なかなか、心が自由になれません。
弟の自死もあり、自分のそれまでの 過去や存在が
根底から否定されたような気持ちでいました。
🎨
「自分がどう生きて行ったらいいのか」ということと
そんな悩んでばかりの自分が
「娘をどう育てたら良いのか」ということの間で、
それまで、哲学、発達心理学、宗教学、
スピリチュアル、モンテッソーリ、シュタイナーなど
いろいろな本を読み、勉強会などにも参加しました。
どれも 素晴らしいなぁと感動しても
自分には とてもできそうに思えず
しかも娘に拒絶されてばかり。
🎨
悩んでいる私をよそに
娘は どんどん成長していきます。
そもそも 母親が何をする人か
教科書に載っているような人物像は分かっても
実際、私にとって母親とは、父親とは
感覚的に どういう人のことをいうのかさえ
私の中にはありませんでした。
それなのに、良い母親ぶろうとしていたのだと思います 😞
そういうふうに、なっている私では、嫌だと
娘は、言っているようでした。
🎨
切羽詰まっていました。
🎨
そんな時、
私の心を瑞々しく 解き放てる場に出会ったのです。
(続く)
子どもの誕生日のお祝いは どうされていますか?
🎨
皆さんは、お子さんや家族の誕生日の時は
どう過ごされていますか?
ご馳走を作って、プレゼントを用意したり、
あるいは、どこかテーマパークへ出かけたり、
旅行へ出かけたり…
何もしなかったり?
それぞれのご家庭で、工夫をくらしていることと思います。
🎨
今日は、娘の誕生日なので
私の場合のお話に、お付き合いくださいね。
🎨
唐突ですが、
私の子育ての軸は、「自己肯定感」です。
娘が生まれた頃の未熟な母親であった私が、精一杯考えて、
子どもが大人になった時のことを想像してみました。
長い人生、良いことがあれば、それはそれで良いことでしょう。
でも時には、
悪いことがあったり、辛い時があったり、苦しいもあるでしょう。
そんなとき、
どんな力が育っていれば それらを乗り越えていけるだろうか?
その力があれば 究極の選択を迫られた時
生きることを選んでくれるようなもの。
生きていれば
いくらでも 人生のやり直しはできるから、
その時に必要な力は何かと考えたのです。
それが「自己肯定感」でした。
🎨
それで、誕生日も 自己肯定感が育つような
面白いことをやろうと考えました!
🎨
もちろん、時間と手間があれば、
ご馳走とプレゼントも夫と協力して準備します。
娘は、アトピーで、食物アレルギーもありましたから
お祝いごとのご馳走は、誕生日に限らず
すべて、ちらし寿司にしました。
娘が食べられる食材を使って作ることができますし
季節の食べ物で、いくらでもアレンジがききます。
成長に伴って、食べられるものが増えれば、
それも加えり、さらに楽しみが増えます。
🎨
話を元に戻しましょう。
自己肯定感を育むような
誕生日にする面白いこととは、
いろいろ方法はあると思いますが、
私は、娘が、生まれた日のことを、
毎年「語って聞かせる」ことにしました。
🎨
年齢に合わせて、
語り方や話す範囲は変わりますが、
毎年
「出産の朝、どんなにあなたが
生まれてくることを待ち望んでいたか。」ということと
妊娠中、出産、その後の育児の大変さを
吹き飛ばしてしまうほど
「こんなに大きくなって嬉しい」ということを話します。
毎年聞く話なのに、娘は、とても嬉しそうに聴いています。
🎨
誕生日の朝は、「おはよう」と挨拶しますが
「まだ生まれていないから、おめでとうは言わないよ!」と
茶目っ気いっぱいの表情で言うことからスタートします!
「夜だもんね!」と生まれた時間を覚えている娘。
良いことばかりではなく、大変なことも話します。
朝は、微弱陣痛があって、台所で椅子に座ったまま寝ていたとか、
その後、ご飯を炊いて、おむすびを作ったとか、
朝焼けの中散歩に行ったとか、
助産院近くの、○○というところでお昼ご飯を食べたとか、
覚えている限り全部です。
🎨
そして、なかなか生まれてこなかったこと。
希望した助産院で産めず、
提携している個人病院での出産になったこと。
初めての先生で、初めての場所で、
陣痛をつける薬も服用していましたから
ほとんど パニック状態だったこと。
そんな大変なことを乗り越えて、
やっと 出産の瞬間の話がやってきます。
産声は猫のようで、
手を握って「がんばったね」って声をかけたんだよ。
新生児室に様子を見に行くと、
泣いていたかなと思ったら、周りを見渡し、
誰も来ないのがわかると、また泣き出したこと。
助産院に挨拶に行ったら、
助産師さんの娘さんに抱っこされて
しばらく手元に返ってこなかったこと。
🎨
産後の育児も、大変でした。
夜泣きが毎晩3時間だったり、
毎晩、お腹の上に乗せて寝てた理、
授乳は15分おきだったり、
紫色の肌をしていたり、
体重が増えなかったり、
公園では 日向ぼっこしながらよく寝ていたり、
歌や音楽に合わせて揺らしていると機嫌が良かったり…。
あまり、周りにいないような赤ちゃんだったので
ひとつひとつ手探りで、
娘をよく観察しながら 育てていくことで必死だったことなど。
その後の、娘の天使のような言動を話したり、
小さなことをたくさん、思い出す限り 話しましたね。
🎨
さらに、ドラマをいくつも いくつも乗り越えて、
また誕生日が来たね。
おめでとう!
🎨
冬至を控えて
🎨
もうすぐ、クリスマス 🎄
今年は、イブも、クリスマスの日も
家族は仕事があって
集まれないので、
早々 お祝いしました。
🎨
クリスマスというと
私には、冬至のお祭りのような印象が
何故だか 強いのです。
一番 昼が短く、夜が長い日である冬至。
そんな時期に
神の子のイエスが生まれ
新しい光が、世界に射し始めた というような印象です。
🎨
実は、私の誕生日が、年末近くにあります。
年末は忙しくて、誕生日のお祝いは
2月にある弟の誕生日と一緒にしていました。
それは 子ども心には とても寂しいものでした。
せめて、誕生日当日は、口頭だけで良いから
「お誕生日おめでとう」と親から言ってもらいたかった。
自分の存在を確認する日でもあったのです。
でも、その願いは一度も叶いませんでした。
🎨
さすがに 人の親になっても
そんなことを 親に欲しているわけにはいかず
辛い記憶を手放す決意をしました。
自分で 自分の誕生を祝おう!
そして、生まれてきたこと、ここまで生きてこれたことを
感謝する日にしようと 決めました。
そして 何でもいいから 自分なりに儀式にして
その決意を揺るがないようにしようと
毎年、自分の誕生日には
一宮の神社にお礼参りをすることにしました。
🎨
しばらく 続けていると
だんだん 自分の誕生日が
自分らしく感じられるようになりました。
🎨
「誕生日はいつですか?」と聞かれたら、
「冬至が過ぎて まだ世の中は真っ暗だけれど
かすかな光を感じ始めている頃に
生まれました。」と
答えるようになりました。
🎨
そう、真っ暗な辛い記憶の中にあっても
まだ、その姿は見えないかもしれないけれど
その根底には、光が内在していることを
私は、確信したくて
そんな体験をしたのかもしれません。
🎨
どんな時にも 生きて行くことを
選び続ける人になって欲しい と
アトリエに通う子どもたちにも
祈り続けています。
🎨
ということで、
我が家のクリスマスは
みんなそれぞれ 大小あるけれど
大変なことを乗り越えて
家族がなんとか生きていることに
感謝する日になっています。
🎨
小雨降る こんな雨の朝は
🎨
久しぶりに 雨の降る朝です。
今まで 雨の降る日は、
朝 なかなか目が覚めず
1日中、意識が ぼんやりとして
身体が 重くてだるい、
あるいは、偏頭痛に悩まされていました。
🎨
仕事や家事、育児に伴う様々なことなど
やらなければ ならないことが たくさん。
無理やり 動いて
なんとか 1日を終えるのがやっと、
という状態の私でした。
🎨
でも、最近は、
ありがたいことに
お天気に あまり影響されずに
朝 目覚めることができるようになりました。
🎨
体調によっては、目覚めの意識が
ぼんやりすることはあっても
その日の 体操を始めると スッキリ!
🎨
体操というと、
決められた形に、
決められた方向へと動かさないといけない、
でも そうできない! といった
心や身体の 硬さが 起きてしまうほど
私は 苦手でした。
知らないうちに 苦手意識を
強く持ってしまいました。
🎨
ところが、体操と感じさせない
笑い満載の
不思議な体操に出会ったおかげで
本当の意味での 身体の 良い状態を
知ることになり
本当の意味での 身体の心地良さを
感じるようになりました。
🎨
体操は 苦手なはずだけど
この体操をすると そのあとの 心地良さを
知っているから
味わいたくて 体操しようという気持ちになります。
🎨
それが 立腰(タテゴシ)体操です。
自分の身体と対話して
今、やりたいなぁと思う体操を選んで
体操します。
1分もかからない 短い体操もあります。
🎨
自然に体操したくなってしまうから
日常生活の中で
信号待ちとか トイレに立つときとか
ちょくちょく 身体と対話して
体操する時間を見つけて
体操したくなってしまう。
🎨
身体の機能が すぐに整うので
疲労物質がすぐ流れていきます。
リセットされるので
回復力は 半端なく高い。
🎨
それは 先日の びわ湖のほとりを
100km歩いた体験で 実感しました。
🎨
こんな経験ができたのも
運動不足の私に
渋っていた 身体を動かすことへの
スイッチを押してくれた方がいるおかげです。
そのうちの お一人が
今日の夕方から アトリエに来てくれる
パパさん家族です。
🎨
パパさんは、今年の3月、
初めて東京マラソンに参加して完走。
長距離のマラソンは 初めてのチャレンジだったそうです。
そして 12月には湘南マラソンを走るそうです。
🎨
いろんなことが いろんな方向へつながって
お互いに 良い刺激を与え、受けあいながら
生きているんだなぁと
素直に 思えるようになってきた
この頃です。
🎨
パパさん家族に 感謝を込めて
🎨
アートすることは・・・
🎨
健康じゃないと いい音が出ない。
どんな音が良いか悪いか、
そもそも 良い悪いと 二極化してスタートするところからして
誤った前提を持っているのかもしれないけれど、
楽器本来の音を引き出すには、
私自身も 心身ともに 健康であることが大事。
でも どんなに自分を整えて、無になろうとしても
所詮、「私」というのフィルターがかかってしまうのは避けられない。
今の 私の全てが、音になってしまう。
🎨
逆の見方をすれば、
音を聴くことで自分の心身の状態がわかるので
自分にとって必要な手当てがわかるし、
場合によっては、楽器の音によって
元気になることもある。
絵を描くこと、工作することも同じ。
料理することも、掃除することも同じ。
生きていることとも 同じ・・・というところまで 行き着くのだろう。
🎨
アートするとは、特別なことじゃない。
今 椅子から立とうとする時、
自分の身体の声に 耳を澄ませて 立ち上がる。
外から見れば、ただ 椅子から立つ動作としか見ないだろうけれど、
見えない内なる身体の声を聴く。感じる。
これも アートだと思う。
声を聴くことで 次の行動が決まる。
これを 絵を描くこと(目に見える動作)に置き換えれば、
自分の心や身体、感覚を聴く(目に見えない内なる声)。
そして 次なる動作が決まり、うまくいけば 最後に作品が出来上がる。
🎨
もっと言えば、一瞬一瞬 聴いて 動いてを繰り返すことは、
今を生きることにつながっていると思う。
🎨
20190329 卒業生ーその後
3月は、思いがけなくアトリエ卒業生から招待いただき
吹奏楽の演奏会(中学生、高校生2人)、
ミュージカルの公演(大学生1人)へと行ってきました。
🎨
小さい頃、アトリエで 作りたいものに没頭し
五感とともに 心から表現する創作を経験した彼ら。
周りと調和している(確かに世界とつながっている)けれど
自然体な 彼らの表現も光っていて
魅入ってしまうという姿を
まじまじと見せられました。
🎨
アトリエで培ったものが アトリエを離れても
何かに取り組むときに役立ち
彼らの人生に深い味わいをもたらしている様子を確認できて
本当に良かったです。
そして 親御さんたちが
アトリエの主旨を反映した環境を
ご家庭でも その後作り続けてくださったこともお聞きして
親御さんたちのご苦労とともに
愛情の深さを感じました。
🎨
これからも 応援しています。
本当にお招きいただき ありがとうございました💕
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