アトリエ

ブログを移動しました!

いつもブログに訪れてくださり、

ありがとうございます 💕

このたび、ブログを移動しました。

 

新しいURLは こちらです。

アトリエ・アルブル/GraciousWind from GrandWest

https://graciouswind.com

 

Gwhm

お手数ですが、ブックマークを変更願います。

また新しいブログでも 

引き続き どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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肯定的関心を持って関わるーそして逆境を体験させる

🎨

前回の記事では、

「肯定的関心を持って関わる」ことで

共感が生まれ、

心から分かち合ってくれた相手に信頼が生まれ、

そして愛着関係を築くことで

自己肯定感が育まれ

その後、健全な社会との関わりを持つようになると書きました。

🎨

そして、もう一つ、

大事にしてほしいことがあります。

それは「逆境を体験」すること、

言い換えると「失敗すること」を大事にする。

🎨

今回は、私の子育て経験からエピソードをお話しします。

🎨

私は、子どもが生後3ヶ月の時、

すでに声帯にポリープが3個できるほど

毎日、毎日 泣かせていました。

「あら、ハスキーな声の赤ちゃんね!」なんて

声をかけられましたが、

今だったら、虐待を疑われるほど

四六時中泣いてばかりの赤ちゃんでした。

夜泣きも、毎晩3時間。

しかも、全身全霊で 大泣きです。

アトピーもありましたから

泣いて かきむしって、血だらけです。

とても「肯定的関心を持って関わる」なんて

できる状況ではありません。

🎨

母乳育児相談所の故・山西みな子先生に出会い、

15分おきに授乳するという方法を教えていただき、

嘘のように 泣き止みましたし

コロッと寝るようになりました。

🎨

それから

この子は、他の人と何かが違うから

普通の育て方じゃダメだ!と思い、

育児書を 本屋1軒分読みまくりました。

そして すべて 子どもに拒絶されました。

🎨

子育てに関しては、

もうお手上げ状態で 頭、真っ白。

仕方がないので、

子どもをよくよく観察するようになりました。

幸いなことに 先入観なしにすることができました。

🎨

そして試行錯誤して、

子どもが一番生き生きとする関わり方が

「肯定的関心を持って関わる」ということだったのです。

🎨

さて、

子どもにとって 初めての「社会」は幼稚園でした。

3歳から入れましたが、毎日お土産付き。

トイレに間に合わないほど

必死に 頑張っていたようで、

お迎えに行くと、ホッとするのか

私の顔を見た瞬間、毎日 大泣き!

ちょっと早かったかな?と思いつつも、

担任の先生の 暖かいサポートがあり、

年中さんからは、人が変わったように

活発になり、幼稚園大好きな人になりました。

🎨

次なる「社会」は、小学校です。

大人の歯が生え始め、

ファンタジーに生きていた子どもたちが

現実世界に目覚め始めてくる年齢です。

なので、7歳から小学校で学ぶのは

一般的な成長段階からすると

ちょうど良いのかもしれません。

🎨

ですが、それも個人差があり

私の子どもは、ファンタジーの世界にいることが長く、

大人の世界を持った今も、

ファンタジーの世界の子ども心を忘れずに持ち続けています。

🎨

大体 10歳前後くらいで、

子どもの世界から卒業し、

大人の世界を生き始めます。

🎨

大人の世界と、子どもの世界の大きな違いは何かというと

簡単に言えば、現実的な因果関係が認識できるということです。

そうなると、だんだん物事を客観的に見れるようになりますし、

論理的に考えることを始めます。

ここからは、どんどん失敗する体験を

できる限りしてほしいのです。

🎨

それまで「肯定的関心を持って関わる」ことをしてきましたので

自己肯定感は、しっかり育ってきています。

すると

失敗した事実と、自分の存在を、分けて考えられるようになります。

失敗したことで、自己否定や自己逃避し、

引きこもりになったりはしません。

事実をしっかりと見て、

その失敗と どう向き合い、どう学ぶかを

親が助けられる未成年の間に

どれだけ出来るかが 

その後の人生を生きる上での 宝になります。

🎨

我が家の場合、

たっぷりと子どもの世界である、

ファンタジーの世界に浸っていたので

現実世界になかなか馴染めず、

不登校になりました。

🎨

ところが、

小5の夏、

地元の劇団主催の演劇で、

6日間8公演 準主役をやり通したことから

自信がついたのでしょう。

現実世界で やっていける自分の力も実感したのでしょう。

中学受験をしたいと言い出しました。

さらに、Violinのコンクールにも参加したいと言い出しました。

前年も同じ話をいただいたのですが、

その時は審査員の目が怖いから絶対に嫌だと言っていた人が、です。

🎨

その様子を見ていて、気づいたことがあります。

それは、

ステップアップするために

人は自ら 自分に課題を科す存在だ

ということです。

🎨

それまで、いろんな場所で

親子で参加し、

私も失敗するところを見せたし、

またそこからどうやって学んで行く姿も見せました。

そして、子ども自身も 失敗し

私の目の前で 

問題を起こしたり、失敗をしてくれたおかげで

どのように受け止め、対処して、

そこから 何を学び、

どう活かしていくか ということを、

子どもの理解力に合わせて サポートしてきました。

🎨

その積み重ねがあったので

中学受験という大きな目標を自ら立てたとき、

自ら 課題を科すようなことをしたのだと思います。

🎨

不登校という逆境も、

その後の生活には なんら支障なく、

それより、不登校の時に

たくさんの いろんな人に出会い、

いろんな体験をして

失敗したり、成功したり

可愛がってもらったり

怒られたり

脅されたりした おかげで、

人怖じせず、

私より コミュニケーション上手です。

🎨

そういう発想の転換を練習できるのが

”モノつくり”です。

最初は 指先が、うまく動かなくて 失敗ばかりします。

だからこそ、出来上がったモノは、

とても 愛おしく

ちょっと汚れてたり

歪だったりするところが

努力の後でもあります。

🎨

心の成長に関して

他にも 親がしてあげられることが

あるかもしれません。

でも、意外に できることは

少ないんですよね。

🎨

過干渉になりすぎず、ネグレクトにもならず

ちょうど良い 距離感を持つには、

子どもたちの”モノつくり”の中にヒントがあります。

そのヒントを 一緒に探すお手伝いもいたします。

気軽に声をかけてください。

 

 

 

 

 

 

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肯定的関心を持って関わるー子どもへの眼差し

🎨

Dsc_2695

壁に貼り付けた、大掛かりなビー玉転がしを見つた Tくん。

ビー玉を転がしているうちに、

ビー玉を1個じゃなくて、

5、6個まとめて転がしたらどうなるか?など、

どんどんアイデアが浮かんできます。

🎨

そういうとき、私は子どもの好奇心に乗ります!

「やってみよう! 実験! 実験!」

ビー玉転がしというのは、子どもたちに大人気の”モノつくり”です。

自分なりのイメージを持つ前には、

人が作った”モノ”を真似ることから始まります。

🎨

今日のTくん、

ビー玉が最後に落ちてくるところに

興味を持ちました。

🎨

何も受け皿がないと、バラバラとビー玉が飛び散ります。

箱を置いてみたら、どうだろう?と

紙でできた箱、ビン、かん、ペットボトル、

クッション材を敷いてみる、ガムテープの芯材など

私も、Tくんに負けじと

どんどんアイデアを出して

Tくんの発想が広がるお手伝いを

そうと知られないように、

しかも本気で、提案してやってみます。

そして、一緒になって

結果に一喜一憂する。

🎨

これは、結構 難しいです。

子どもにとっては、初めてのことでも

私は、何回も何回も

同じシチュエーションに遭遇しているのです。

そのたびに

初めて そのアイデアに出会ったかのように振る舞います。

決して

「ああ、あれね」と知った顔しません。

ましてや

「またか…」なんて顔もしません。

🎨

もちろん、ビンにしたら、

どんなふうになって高い音がするなど

私は知ってますし、

周りにどんな影響を与えるかもわかっています。

だから

私の経験から、いろんな想定をして配慮しながらも、

それをちょっと横に小さく置いたまま、

目の前にいるTくんが

これから体験しようとしていることを

メインにして一緒に楽しみます。

🎨

なぜなら 、

その体験は、

今 目の前にいる Tくんには

初めての体験だからです。

🎨

私にとっては、

Tくんとの体験は、初めてのことです。

一人ひとり、人間は違いますので

反応も 違います。

だから、

Tくんは どんなふうに反応するのだろうか?と

それは楽しみで仕方ありません!

🎨

ちょっと小さい声で 

モゴモゴ喋っていたTくんが

この時は、めちゃくちゃ大きな声ではっきりと

「次はこうしてみよう!」

「キャハハハハ!(笑い声)」

「音がこんなだ!」

「それは、飛び出ちゃうんじゃないか?」

そういった 提案、感想、考えなど

はっきり自分の意見を話しています!

🎨

こんな Tくんの姿を見ながら

これが

「肯定的関心を持って関わる」ことなんだなぁと

再認識しました。

🎨

この「肯定的関心を持って関わる」ことで

共感が生まれます。

心の底から

子ども自身の喜びを共有してくれる人に対して

子どもは 信頼を寄せます。

すると

それは「愛着」となって

子どもの心の中に

自我の種が生まれます。

さらに

「肯定的関心を持って関わる」ことを続けていくと

その自我の芽が育ち、

自分の心の中に拠り所が生まれ、

自己肯定感が育っていきます。

そして、

健全な社会との関わりを持つように

成長していきます。

🎨

一人ひとり、いろんな課題やテーマを持っていますし、

子どもが一人ひとり違うなら、

親も 一人ひとり違って、

親子関係も、1組ごとに違います。

だから、

こんなに キレイに

一直線に成長することはないかもしれません。

でも、

心の成長に関して、

「親がしてあげられることで

 たった一つあげてください」と聞かれたとしたら、

この「肯定的関心を持って関わる」ことを基本に据えて、

大事にしてほしいと思います。

🎨

もちろん、親も人間ですから感情があります。

叱ったり、喧嘩したりすることもあり、

24時間365日はできないと思われる方もいるでしょう。

子どもと相性が合わないということもあります。

そういうご自分の気持ちにも

「肯定的関心を持って関わる」ことをしてみることを

お勧めします!

🎨

なかなか、出来ないときは、

普段の生活の中での”モノつくり”

例えば、接客、資料作り、新しい商品開発など

お仕事のあらゆることや、

料理などの家事に対しても、

それらを”モノつくり”と考えて、

できる範囲でいいので、少しでも

「肯定的関心を持って関わる」ことを

やってみる機会を持ってみてはいかがでしょう。

ネガティブな感情が出てきたときに

その眼差しを持ちやすくなる助けになります。

🎨

すると、

自分のネガティブな気持ちを

良い/悪いを超えて

そのまま受け取れることがあるでしょう。

🎨

いったん、そのまま受け取ることで

そのあとは、ご自分の中から

建設的な考えが浮かんでくることでしょう。

これが、

”モノつくり”の”モノ”が、人生に置き換わる生き方に

つながっていきます。

つまり

自分で決断して行動し、結果を自分で受け入れるという

爽やかな生き方につながっていくことでしょう。

🎨

お子さんは、まだこのプロセスを一人で出来ませんから

ぜひぜひ 親御さんが実際にやってみせることで

言葉ではなく

感覚的に伝えていってもらえたらと思います。

これは、一生の宝です。

🎨

お子さんが 小さいうちは

親御さんが、応援団。

そして

成長するにつれ、

大人になったら

自分自身が 自分の応援団。

これが

意識しなくても 

デフォルトになったら

他者に対しても

適切な距離感を持った 

応援団になれることでしょう。

🎨

Dsc_2701

※ビー玉転がしを終えて、ニコニコが止まらない Tくん。

いつもなかなか帰る支度をしないのに、今日は満足したのでしょう。スッと支度を済ませて、パッと挨拶して、気持ちよく帰られました。

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自由表現って、なんだろう? その3 それは、循環するエネルギー

🎨
「自由」であるには、

「安心・安全」であることが前提にある

そして、

「安心・安全」であるかどうかの判断は、

「心地良さ」

🎨

「心地良さ」というのは

人によって いろいろだし、

個人差もあると思います。

私が、「心地良い」と感じるのは、

肯定的関心を持って

見守ってもらえていると感じているか、

あるいは、

自分のエネルギーが十分に滞りなく循環しているか

ということが多いです。

🎨

年齢が、小さいうちは、

文法的に、「否定形」という概念がないようで、

「ダメよ!」と言われれば言われるほど、

「やって良いんだ!」とばかりに

ダメだと言ったことをしますよね 😞

ある程度、分別が効くようになると、

否定的にネガティブな感情を無意識下に持って接すると

子どもたちは、それに反発することにエネルギーを費やしたり、

エネルギーを出せないで、ため込んだりして

病気になることもあります。

「食べる」という行為に当てはめれば、

身体に悪いものを食べるだけ食べて、

排泄しない状態です。

それは、かなり苦しいですよね。

でも、排泄できれば、スッキリします。

病気も治ります。

🎨

それと同じように、

いろんな刺激を受けて感じ、

脳内や体内に取り込んだものを

排泄、つまりアウトプットできている状態を

私は「心地よい」と思います。

さらに、

排泄行為に対してネガティブな刷り込みがなければ

もっと良いですよね。

それには、肯定的関心を持って見守られていることが

一番良いのではないかと思います。

🎨

そう考えてくると、

中学生の時の音楽室での私の体験は、

”ぼっち”でしたが、

そのおかげで、誰にも批判されることなく、

つまりネガティブな評価を受けることなく、

安心して、自分のやりたいことにチャレンジし(吸収)、

その結果、音が出たとか、こんな音がするのだとか、

アウトプット(排泄)を楽しみ、

エネルギーが循環していた時間、

つまり自由表現をしていた

ということになります。

🎨

また、私にとって「音楽」とは

夢中になって

何かに没頭している時間でもあり、

その成果があろうが なかろうが

それが職業になっても ならなくても

その感覚を味わい、堪能している体験でした。

それは、循環しているエネルギーでもあったので

心地良さ いっぱいだったのですね

🎨

そして

さらに 表現方法を広げていくことになります。

(続く)

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自由表現ってなんだろう? その2

🎨

前回は

「私が、自己表現の場を提供する中で、

 自分の思うように表現できない方を観察してきて

 学ばせていただいたのが、

 「自由」であるには、

 「安心・安全」であることが前提にある

 ということです。

 そして、「安心・安全」であるかどうかの判断は、

 「心地良さ」だと思います。

と、書きました。

🎨

自由に表現できないのは、

心のブロックがあり、

そうできなかったということもあります。

小さい頃から、

言動を否定されたり、

できないことばかり指摘され続けて

無能扱いされ続けた経験がある。

あるいは、

逆に良い子であることを求められ

親の思うような、素直で従順で

親や大人の思うような 言動をし続けてきた経験がある。

🎨

どちらの環境であっても、

自分自身が

ありのままの自分を大事にしていたら

あまり影響はありません。

そのためには、

自分自身を育てていくことが大事になります。

そして

自分の良いところ、悪いところ、

できること、できないことを

より多く知っていることが大事です。

🎨

私の場合は、消極的優等生タイプでした。

変に、器用にいろんなことができてしまったため

周囲の大人たちが求めることを吸収し、こなせるけれど

自由な発想で、何かを生み出すことができない。

勉強はできるけれど、自分らしさがない

正論ばかり言っている 

ちょっとつまらない良い人って感じです(苦笑)。

🎨

そんな私でも、

周りの大人の、誰のいうことも聞かずに

自分の心のおもむくままに

一人で行動していた時期があります。

🎨

それは中学生の時でした。

当時、部活動でブラスバンド部に入っていました。

弱小クラブで、部員が11人しかいなくて

しかも みんな なかなか練習に出てきません。

合奏の練習にもなりませんから、暇です。

ところが、音楽室には、いろんな楽器があり、

またその楽器の教則本もあります!

私は、かたっぱしから 引っ張り出してきて

教則本を見ながら、チャレンジしてみました 😄

また、練習日でもないのに音楽室に入り浸り、

ピアノの上手な友人に、いろんな曲を弾いてもらい

隣で楽しんでいました。

また、ビックバンドを聴きに行く機会があり感動した私は、

グランドピアノで、その旋律を指一本で引いてみたりと、

ともかく、

やりたい放題だったのです!

夢中になって 

次から次へと、やってみようと思ったことを

試していましたから

下校時間が過ぎてしまうことも しばしば。

用務員さんに何回注意されたかわかりません😅

当然 顧問の先生の耳にも届いているはずですが、

あまり怒られた記憶がなく

たぶん多目に見てくれた 音楽の先生に

感謝しきれません!

緩やかな、おおらかな時代でしたね。

🎨

その後、

すぐ受験勉強が始まり、

また将来に対して

家庭の事情で 

夢も希望も持てない選択を

しなければいけないことになり

人生に絶望した私。

また、

社会が求められた人間を演じて

生きていくことになります。

反発して それでも自分は自分だ!とは

できなかったのですね。

🎨

そんな私が、

絶望の殻を通り越して

ありのままの私を表現する楽しさに

触れるために出会うのは、

それから20年くらいかかりました。

(続く)

 

 

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アトリエは、人生のシミュレーションの場

🎨

小学3年生になったある朝、

娘は玄関でうずくまり

「もう、行けない。」と言いました。

ついに来たか、と思いました。

🎨

「ついに」というのは、

入学式の次の日に、すでにその兆候がありました。

でも、担任の先生が毎日出す宿題プリントに

ひとこと欄があり、

その欄を通して

先生と娘の小さな交換日記が続けられ、

その間は、通うことができました。

🎨

3年生になって、先生との交換日記が続けられなくなり

3年生の半分と、4年生の半分、

そして5.6年生と行かなくなりました。

🎨

今のように SNSが使える時代ではなかったのですが

心配した周りの方々が様々な情報を持ってきてくれました。

その情報を整理しつつ、

心身ともに疲れ切っている娘の身体を

まずは 回復させることを最優先しました。

1週間くらいで、身体は回復してくるのですが、

気持ちの方が、モヤモヤしたままです。

🎨

よくよく観察していると、

私の気持ちが、モヤモヤしているので

娘もモヤモヤしていることに気がつきます。

ある年齢になったら、学校へ行く と

あたり前のように思っていたけれど、

そもそも学校へ行くって、どういうことか

自分の頭で考えていなかったことに

初めて 気がつくのです。

そして学校へ行くことの

自分なりの答えを持っていない私が、

娘が学校へ行かないことを受け入れているつもりで

一体 何を受け入れていたのやら(苦笑)

それに私自身、不登校になった体験はないので

実際 どうしたらいいのか、わからないし

確固たる考えがあるわけではなく

自信もありませんでした。

そういう弱気な私の気持ちを

娘も感じとっていたようです。

🎨

娘が これから先、

豊かな人生を生きていくのに必要なものを

「学校で学ぶ」という選択肢を 

今は選びたくないと言っています。

それに対して、

私は どうやって、必要なものを学ぶ環境を

整えたらいいのか、

情報はたくさんあれど、

親として自分なりのポリシーが

必要だと思いました。

🎨

当時は、

不登校であることは、

私も世の中も 

とてもネガティブな出来事として捉えていました。

周りからも、親が甘やかせすぎたから、

ひとりっ子で 可愛がりすぎたから、

引っ込み思案で、学校に行けない弱い子に育てたと

いろいろ言われました。

確かに 

そういう面もあるかも知れません。

かなり凹みました。

けれど、ここまで

私は、私なりのポリシーを持って

自分で決めて育ててきたことです。

その時々最大限の様々な努力をして

現状の状態で済んでいるのだから

良しとしました。

それより、この体験が

娘の将来の「強み」に変わるように

暮らそうと思いました。

学校に通っている人たちとは

違った体験をすることになったのだから、

その視野の違いが

彼女の強みになり、良さになり、

世の中の役に立てるような何かになるように

過ごしていこうと思いました。

🎨

ここまで、考えてきて

ハタと思ったのが、

この思考と行動パターンは、

アトリエで”モノつくり”している時と

同じだということです!

これをやりたい、こうしようと

自分なりに決めて、

最大限、それに向かって 

試行錯誤を重ねていきます。

途中で、うまく行かないことがあっても、

そこから何かをつかんで

また創意工夫して

次の一歩を生み出す。

そういうふうに

自分の人生をクリエイトしていく

シミュレーションができる場が

アトリエなのだと気づいたのです。

🎨

これは

生き方の問題。

🎨

”モノつくり”を通して

人生を学んでいく。

どうやって自分の人生をクリエイトしていくか、

失敗しても

ゲームのように人生のリセットをせず

そこから学んで、

次に活かし、

新たなモノを作り出していく。

🎨

そうなると、

アトリエでの私の在り方と

現実世界での私の生き方が

重なってきて、

アトリエでも 家庭でも

娘に対して対応を変えることは

おかしいことに気づき、

同じように接していくことを

改めて、再認識しました。

 

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アトリエ中と、家庭とでは、接し方は同じ?

🎨

「家でも、同じなんですか?」

と、親御さんに尋ねられました。

家に帰って、私の子どもに対しても

アトリエの子供たちと同じように

やりたいことを応援するスタンスで

接しているのか?という質問です。

答えは

「はい、同じです!」

開設した当初は、小学1年生だった娘も

アトリエで創作をしていました。

最初は、大好きなお母さんが

リーダーになってやることですから

誇らしい気持ちや嬉しさからか

めちゃくちゃ手伝ってくれるんです!

みんな、それぞれ自分の好きなことをやり始めると

娘も 自分のやりたいことを始めます。

しばらくして気がつくんですね、

私が一人ひとり、分け隔てなく、接している様子に。

すると、不安になったようです。

今まで、そんなに 他の子どもたちに対して

心を砕いている母は、見たことありませんし、

自分が母親にとっては 一番だと思っていましたから。

いきなり 膝の上に乗ってくるのです。

この人は、私のものだ!と言いわんばかりに。

こんな時 どうされますか?

いろいろ考えがあると思いますし、

普段、どのような接し方をしているか、

その関係性によって

対応は違うと思います。

私の場合は、

接していた子どもに少し待ってもらって、

一番に娘のことを抱っこしました。

そして、いつも口にしている魔法の言葉を

小さく耳元で呟きました。

「○○ちゃん、大好きだよ。

 母さんの宝物だよ。

 何があっても、○○ちゃんの味方だよ。」

いつもと変わりなく、

自分のことを1番に大切に思っていることが伝わると、

安心して、創作に戻っていきます。

そして、

待っていてくれた子にお礼を言って、

続きをします。

その様子を見ていた他の子たちは、

自分も同じように

大切に接してもらえると思うので、

そのあとは 私の取り合いになることなく

順番を待つようになります。

🎨

家では、「あなたが一番よ」と

理想的なことを言っていても

いざ、アトリエで娘が求めてきたときに

後回しにされたら、

私は、2枚の舌を持つ人になってしまいます。

大嘘つきになってしまいます。

どんな場であっても、

娘に対して 一貫した態度を取らないと

あとが大変だと思ったので、

私は、そこをこだわりました。

🎨

また、もう一つ、

アトリエと家庭とで

対応を分けられなくなった出来事がありました。

(続く)

 

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作らなかった時期を超えるとどうなる?

🎨

雪が降る中、元気にアトリエに入ってきた今日の Yくん。

2週間前と顔つきが全然変わって、

スッキリとして 

ちょっとお兄さんになったように見えました。

🎨

毎日、顔を合わせていると気づけないほど

小さな変化ですが、

月に2回しか会わない私には、

その成長の変化が よくわかります。

🎨

すると 創作の内容も変化するんですね。

どんなふうに 変わるんだろうか!と

もう、ワクワクして見守ります 😃

🎨

Yくんは想像力豊かな人です。

イメージの中で、いろんなキャラクターが登場し

自由に動き回り、物語が どんどん紡ぎ出されていきます。

そのYくんの心の世界観のうち、

主人公とその身近な登場人物を

作ることが多かったのですが、

今回は、その舞台となっている背景も作り出しました!

演劇に例えると、役者と簡単な衣装だけだったのが、

大道具、小道具が増えた感じです。

🎨

こちらで指示をしないで、見守っていると

その子が、どの部分まで、

この現実世界を認識しているのか

垣間見せてくれることがあります。

自分だけの世界から、相手が現れ、

場が現れ、

相手と自分との交流が始まり、

相手の立場というのも考えるようになります。

🎨

また、一段階成長する前は、作品を作らなかったりします。

Yくんの場合も、実際1、2ヶ月あまり作品を作らなかったのです。

その時期も、とても大切で、

エネルギーをためている時期と考えています。

🎨

そして今日、久しぶりに集中して作りました。

視野が広がり、

より高い視点から

この世界を表現するようになりました。

たぶん、Yくんのイメージの中は、

もっともっといろんなモノであふれているのだろうと思います。

そのイメージを具体的に作品に作ること、

つまり アウトプットした分だけ

この現実世界で使える能力が磨かれているということです。

🎨

Yくんの成長が、ますます楽しみです!

 

 

 

 

 

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阪神淡路大震災から25年に寄せて

🎨

阪神淡路大震災から25年。

私なりの追悼をさせていただきました。

🎨

その日、

テレビの画面から 驚く光景が飛び込んできて、

「なんてことだ、大変なことに…」と

ただただ、なすすべもなく

テレビの前を 私はウロウロするばかりでした。

🎨

その後知ったことですが、

震災後に、復興のためのボランティアとして、

被災された当事者であった

現地やその近くの色彩心理の勉強をした先輩方が

「空飛ぶ子どものアトリエ」として

活動をされていました。

今 なお、様々なところで

子どもたちの心の救済活動を続けていらっしゃいます。

とても誇りに思っています。

🎨

私の場合は、2001年に

これまた テレビから流れる9・11事件の映像にショックを受け、

それがアトリエを開設する理由の一つとなりました。

こんなに たくさんの人を傷つけ、

暴力的な表現をしなければ、

自分の言いたいことが伝えられないのか?

そんな思いが、頭の中をめぐっていました。

🎨

それは、もしかしたら 

大きな事件だけでなく

日常のちょっとしたところで

自分、家族、友人、職場の人たちに対して

自分の心を表現する方法を知らないがために

原始的な 暴力的な方法でしか

伝えられないことにもつながるのではないか。

だとしたら、少しずつ自分の気持ちを

自分でケアできる場がたくさんあったなら

心の中に押し込んで 押し込みきれなくなって

人や大自然を傷つけるような

暴力的に感情を爆発させるような

そんな表現をしなくて済むのではないか?

それには

心に寄り添りそうように絵を描いたり、

心地よいと感じられる画材を使って創作したり、などと

”モノつくり”によって その人なりの心のセルフケアを

その人のペースで 安全に

身につけていくことが一番良いのではないか。

そんな場所が、世界中にあったら良いのに。

その第一歩として

小さなアトリエ を始めました。

🎨

自分の心に寄り添いながら自分の気持ちや考えは

言語化できることが一番。

だけれど、

なかなか言語化できないようなことは、

ワンクッション置いて

”モノつくり”による表現をするのが良いです。

いろいろな感情で、いっぱいいっぱいになった心に

少しスペースが生まれ、

そのスペースで、少し冷静に考えることができるから。

そして自分のペースで 言語化し、

過去は過去のこととして受け入れ、

また 今を生きる 瑞々しい心を

取り戻し、感じることができます。

そして、

行動への第1歩を踏み出すことでしょう。

自分の心を伝える方法も、

もちろん洗練されていきます。

自分も相手も尊重した

思いやり深いコミュニケーションに

繋がっていくことでしょう。

🎨

今日は、追悼をさせていただくとともに

アトリエ開設の初心に戻る日でもありました。

 

 

 

 

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自由表現ってなんだろう?

🎨

交流会では、ぬり絵のミニ・ワークを行います。

たまに絵を描くことに、苦手意識を持っていて、

「自由に絵を描くのは苦手です。」と

おっしゃる方がいます。

「自由」を

「心のままに」「好きなように」という言葉に置き換えても、

困ってしまう人がいます。

🎨

そういう方には、ぬり絵をお勧めしています!

色を塗るだけになりますので、

気軽に楽しんでいただけます。

好きな絵柄、気になる絵柄、嫌いな絵柄など

心に何か動きのある絵柄のぬり絵を選んでもらいます。

そして、

好きなように色を塗ってもらうのですが、

それも苦手な方がいます。

そういう時は、

「心のままに」「好きなように」ということより

見た通りの色や、一般的な色で塗ってもらいます。

🎨

私が、自己表現の場を提供する中で、

自分の思うように表現できない方を観察してきて

学ばせていただいたのが、

「自由」であるには、

「安心・安全」であることが前提にある

ということです。

そして、「安心・安全」であるかどうかの判断は、

「心地良さ」だと思います。

🎨

そして、

必ず、私も隣で一緒に表現します。

私が、どれだけ自由な発想で

どれだけ 自分の心に正直であるかが問われますね。

素敵な絵を描いたり、

人に感心されたり、

評価されたりする絵でなくていいということを

体感してもらうためです。

🎨

また、絵を描くためには、

いろんな能力が必要です。

形を捉える力、

色を感じる力、

色を作り出す力など、たくさんあります。

それを学ぶために、

子どもたちは、誰かの「模倣」をします。

それと同じことを

ぬり絵ワークを通して、吸収してもらいます。

🎨

すると、時間はかかりますが、

いつの間にか

自由表現ができるようになってきます。

すると、

子どもたちの自由でのびのびとした部分を

受け入れられやすくなります。

(続く)

 

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