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このたび、ブログを移動しました。
新しいURLは こちらです。
アトリエ・アルブル/GraciousWind from GrandWest
お手数ですが、ブックマークを変更願います。
また新しいブログでも
引き続き どうぞよろしくお願いいたします。
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🎨
前回の記事では、
「肯定的関心を持って関わる」ことで
共感が生まれ、
心から分かち合ってくれた相手に信頼が生まれ、
そして愛着関係を築くことで
自己肯定感が育まれ
その後、健全な社会との関わりを持つようになると書きました。
🎨
そして、もう一つ、
大事にしてほしいことがあります。
それは「逆境を体験」すること、
言い換えると「失敗すること」を大事にする。
🎨
今回は、私の子育て経験からエピソードをお話しします。
🎨
私は、子どもが生後3ヶ月の時、
すでに声帯にポリープが3個できるほど
毎日、毎日 泣かせていました。
「あら、ハスキーな声の赤ちゃんね!」なんて
声をかけられましたが、
今だったら、虐待を疑われるほど
四六時中泣いてばかりの赤ちゃんでした。
夜泣きも、毎晩3時間。
しかも、全身全霊で 大泣きです。
アトピーもありましたから
泣いて かきむしって、血だらけです。
とても「肯定的関心を持って関わる」なんて
できる状況ではありません。
🎨
母乳育児相談所の故・山西みな子先生に出会い、
15分おきに授乳するという方法を教えていただき、
嘘のように 泣き止みましたし
コロッと寝るようになりました。
🎨
それから
この子は、他の人と何かが違うから
普通の育て方じゃダメだ!と思い、
育児書を 本屋1軒分読みまくりました。
そして すべて 子どもに拒絶されました。
🎨
子育てに関しては、
もうお手上げ状態で 頭、真っ白。
仕方がないので、
子どもをよくよく観察するようになりました。
幸いなことに 先入観なしにすることができました。
🎨
そして試行錯誤して、
子どもが一番生き生きとする関わり方が
「肯定的関心を持って関わる」ということだったのです。
🎨
さて、
子どもにとって 初めての「社会」は幼稚園でした。
3歳から入れましたが、毎日お土産付き。
トイレに間に合わないほど
必死に 頑張っていたようで、
お迎えに行くと、ホッとするのか
私の顔を見た瞬間、毎日 大泣き!
ちょっと早かったかな?と思いつつも、
担任の先生の 暖かいサポートがあり、
年中さんからは、人が変わったように
活発になり、幼稚園大好きな人になりました。
🎨
次なる「社会」は、小学校です。
大人の歯が生え始め、
ファンタジーに生きていた子どもたちが
現実世界に目覚め始めてくる年齢です。
なので、7歳から小学校で学ぶのは
一般的な成長段階からすると
ちょうど良いのかもしれません。
🎨
ですが、それも個人差があり
私の子どもは、ファンタジーの世界にいることが長く、
大人の世界を持った今も、
ファンタジーの世界の子ども心を忘れずに持ち続けています。
🎨
大体 10歳前後くらいで、
子どもの世界から卒業し、
大人の世界を生き始めます。
🎨
大人の世界と、子どもの世界の大きな違いは何かというと
簡単に言えば、現実的な因果関係が認識できるということです。
そうなると、だんだん物事を客観的に見れるようになりますし、
論理的に考えることを始めます。
ここからは、どんどん失敗する体験を
できる限りしてほしいのです。
🎨
それまで「肯定的関心を持って関わる」ことをしてきましたので
自己肯定感は、しっかり育ってきています。
すると
失敗した事実と、自分の存在を、分けて考えられるようになります。
失敗したことで、自己否定や自己逃避し、
引きこもりになったりはしません。
事実をしっかりと見て、
その失敗と どう向き合い、どう学ぶかを
親が助けられる未成年の間に
どれだけ出来るかが
その後の人生を生きる上での 宝になります。
🎨
我が家の場合、
たっぷりと子どもの世界である、
ファンタジーの世界に浸っていたので
現実世界になかなか馴染めず、
不登校になりました。
🎨
ところが、
小5の夏、
地元の劇団主催の演劇で、
6日間8公演 準主役をやり通したことから
自信がついたのでしょう。
現実世界で やっていける自分の力も実感したのでしょう。
中学受験をしたいと言い出しました。
さらに、Violinのコンクールにも参加したいと言い出しました。
前年も同じ話をいただいたのですが、
その時は審査員の目が怖いから絶対に嫌だと言っていた人が、です。
🎨
その様子を見ていて、気づいたことがあります。
それは、
ステップアップするために
人は自ら 自分に課題を科す存在だ
ということです。
🎨
それまで、いろんな場所で
親子で参加し、
私も失敗するところを見せたし、
またそこからどうやって学んで行く姿も見せました。
そして、子ども自身も 失敗し
私の目の前で
問題を起こしたり、失敗をしてくれたおかげで
どのように受け止め、対処して、
そこから 何を学び、
どう活かしていくか ということを、
子どもの理解力に合わせて サポートしてきました。
🎨
その積み重ねがあったので
中学受験という大きな目標を自ら立てたとき、
自ら 課題を科すようなことをしたのだと思います。
🎨
不登校という逆境も、
その後の生活には なんら支障なく、
それより、不登校の時に
たくさんの いろんな人に出会い、
いろんな体験をして
失敗したり、成功したり
可愛がってもらったり
怒られたり
脅されたりした おかげで、
人怖じせず、
私より コミュニケーション上手です。
🎨
そういう発想の転換を練習できるのが
”モノつくり”です。
最初は 指先が、うまく動かなくて 失敗ばかりします。
だからこそ、出来上がったモノは、
とても 愛おしく
ちょっと汚れてたり
歪だったりするところが
努力の後でもあります。
🎨
心の成長に関して
他にも 親がしてあげられることが
あるかもしれません。
でも、意外に できることは
少ないんですよね。
🎨
過干渉になりすぎず、ネグレクトにもならず
ちょうど良い 距離感を持つには、
子どもたちの”モノつくり”の中にヒントがあります。
そのヒントを 一緒に探すお手伝いもいたします。
気軽に声をかけてください。
🎨
壁に貼り付けた、大掛かりなビー玉転がしを見つた Tくん。
ビー玉を転がしているうちに、
ビー玉を1個じゃなくて、
5、6個まとめて転がしたらどうなるか?など、
どんどんアイデアが浮かんできます。
🎨
そういうとき、私は子どもの好奇心に乗ります!
「やってみよう! 実験! 実験!」
ビー玉転がしというのは、子どもたちに大人気の”モノつくり”です。
自分なりのイメージを持つ前には、
人が作った”モノ”を真似ることから始まります。
🎨
今日のTくん、
ビー玉が最後に落ちてくるところに
興味を持ちました。
🎨
何も受け皿がないと、バラバラとビー玉が飛び散ります。
箱を置いてみたら、どうだろう?と
紙でできた箱、ビン、かん、ペットボトル、
クッション材を敷いてみる、ガムテープの芯材など
私も、Tくんに負けじと
どんどんアイデアを出して
Tくんの発想が広がるお手伝いを
そうと知られないように、
しかも本気で、提案してやってみます。
そして、一緒になって
結果に一喜一憂する。
🎨
これは、結構 難しいです。
子どもにとっては、初めてのことでも
私は、何回も何回も
同じシチュエーションに遭遇しているのです。
そのたびに
初めて そのアイデアに出会ったかのように振る舞います。
決して
「ああ、あれね」と知った顔しません。
ましてや
「またか…」なんて顔もしません。
🎨
もちろん、ビンにしたら、
どんなふうになって高い音がするなど
私は知ってますし、
周りにどんな影響を与えるかもわかっています。
だから
私の経験から、いろんな想定をして配慮しながらも、
それをちょっと横に小さく置いたまま、
目の前にいるTくんが
これから体験しようとしていることを
メインにして一緒に楽しみます。
🎨
なぜなら 、
その体験は、
今 目の前にいる Tくんには
初めての体験だからです。
🎨
私にとっては、
Tくんとの体験は、初めてのことです。
一人ひとり、人間は違いますので
反応も 違います。
だから、
Tくんは どんなふうに反応するのだろうか?と
それは楽しみで仕方ありません!
🎨
ちょっと小さい声で
モゴモゴ喋っていたTくんが
この時は、めちゃくちゃ大きな声ではっきりと
「次はこうしてみよう!」
「キャハハハハ!(笑い声)」
「音がこんなだ!」
「それは、飛び出ちゃうんじゃないか?」
そういった 提案、感想、考えなど
はっきり自分の意見を話しています!
🎨
こんな Tくんの姿を見ながら
これが
「肯定的関心を持って関わる」ことなんだなぁと
再認識しました。
🎨
この「肯定的関心を持って関わる」ことで
共感が生まれます。
心の底から
子ども自身の喜びを共有してくれる人に対して
子どもは 信頼を寄せます。
すると
それは「愛着」となって
子どもの心の中に
自我の種が生まれます。
さらに
「肯定的関心を持って関わる」ことを続けていくと
その自我の芽が育ち、
自分の心の中に拠り所が生まれ、
自己肯定感が育っていきます。
そして、
健全な社会との関わりを持つように
成長していきます。
🎨
一人ひとり、いろんな課題やテーマを持っていますし、
子どもが一人ひとり違うなら、
親も 一人ひとり違って、
親子関係も、1組ごとに違います。
だから、
こんなに キレイに
一直線に成長することはないかもしれません。
でも、
心の成長に関して、
「親がしてあげられることで
たった一つあげてください」と聞かれたとしたら、
この「肯定的関心を持って関わる」ことを基本に据えて、
大事にしてほしいと思います。
🎨
もちろん、親も人間ですから感情があります。
叱ったり、喧嘩したりすることもあり、
24時間365日はできないと思われる方もいるでしょう。
子どもと相性が合わないということもあります。
そういうご自分の気持ちにも
「肯定的関心を持って関わる」ことをしてみることを
お勧めします!
🎨
なかなか、出来ないときは、
普段の生活の中での”モノつくり”
例えば、接客、資料作り、新しい商品開発など
お仕事のあらゆることや、
料理などの家事に対しても、
それらを”モノつくり”と考えて、
できる範囲でいいので、少しでも
「肯定的関心を持って関わる」ことを
やってみる機会を持ってみてはいかがでしょう。
ネガティブな感情が出てきたときに
その眼差しを持ちやすくなる助けになります。
🎨
すると、
自分のネガティブな気持ちを
良い/悪いを超えて
そのまま受け取れることがあるでしょう。
🎨
いったん、そのまま受け取ることで
そのあとは、ご自分の中から
建設的な考えが浮かんでくることでしょう。
これが、
”モノつくり”の”モノ”が、人生に置き換わる生き方に
つながっていきます。
つまり
自分で決断して行動し、結果を自分で受け入れるという
爽やかな生き方につながっていくことでしょう。
🎨
お子さんは、まだこのプロセスを一人で出来ませんから
ぜひぜひ 親御さんが実際にやってみせることで
言葉ではなく
感覚的に伝えていってもらえたらと思います。
これは、一生の宝です。
🎨
お子さんが 小さいうちは
親御さんが、応援団。
そして
成長するにつれ、
大人になったら
自分自身が 自分の応援団。
これが
意識しなくても
デフォルトになったら
他者に対しても
適切な距離感を持った
応援団になれることでしょう。
🎨
※ビー玉転がしを終えて、ニコニコが止まらない Tくん。
いつもなかなか帰る支度をしないのに、今日は満足したのでしょう。スッと支度を済ませて、パッと挨拶して、気持ちよく帰られました。
🎨
「自由」であるには、
「安心・安全」であることが前提にある
そして、
「安心・安全」であるかどうかの判断は、
「心地良さ」
🎨
「心地良さ」というのは
人によって いろいろだし、
個人差もあると思います。
私が、「心地良い」と感じるのは、
肯定的関心を持って
見守ってもらえていると感じているか、
あるいは、
自分のエネルギーが十分に滞りなく循環しているか
ということが多いです。
🎨
年齢が、小さいうちは、
文法的に、「否定形」という概念がないようで、
「ダメよ!」と言われれば言われるほど、
「やって良いんだ!」とばかりに
ダメだと言ったことをしますよね 😞
ある程度、分別が効くようになると、
否定的にネガティブな感情を無意識下に持って接すると
子どもたちは、それに反発することにエネルギーを費やしたり、
エネルギーを出せないで、ため込んだりして
病気になることもあります。
「食べる」という行為に当てはめれば、
身体に悪いものを食べるだけ食べて、
排泄しない状態です。
それは、かなり苦しいですよね。
でも、排泄できれば、スッキリします。
病気も治ります。
🎨
それと同じように、
いろんな刺激を受けて感じ、
脳内や体内に取り込んだものを
排泄、つまりアウトプットできている状態を
私は「心地よい」と思います。
さらに、
排泄行為に対してネガティブな刷り込みがなければ
もっと良いですよね。
それには、肯定的関心を持って見守られていることが
一番良いのではないかと思います。
🎨
そう考えてくると、
中学生の時の音楽室での私の体験は、
”ぼっち”でしたが、
そのおかげで、誰にも批判されることなく、
つまりネガティブな評価を受けることなく、
安心して、自分のやりたいことにチャレンジし(吸収)、
その結果、音が出たとか、こんな音がするのだとか、
アウトプット(排泄)を楽しみ、
エネルギーが循環していた時間、
つまり自由表現をしていた
ということになります。
🎨
また、私にとって「音楽」とは
夢中になって
何かに没頭している時間でもあり、
その成果があろうが なかろうが
それが職業になっても ならなくても
その感覚を味わい、堪能している体験でした。
それは、循環しているエネルギーでもあったので
心地良さ いっぱいだったのですね。
🎨
そして
さらに 表現方法を広げていくことになります。
(続く)
🎨
前回は
「私が、自己表現の場を提供する中で、
自分の思うように表現できない方を観察してきて
学ばせていただいたのが、
「自由」であるには、
「安心・安全」であることが前提にある
ということです。
そして、「安心・安全」であるかどうかの判断は、
「心地良さ」だと思います。
と、書きました。
🎨
自由に表現できないのは、
心のブロックがあり、
そうできなかったということもあります。
小さい頃から、
言動を否定されたり、
できないことばかり指摘され続けて
無能扱いされ続けた経験がある。
あるいは、
逆に良い子であることを求められ
親の思うような、素直で従順で
親や大人の思うような 言動をし続けてきた経験がある。
🎨
どちらの環境であっても、
自分自身が
ありのままの自分を大事にしていたら
あまり影響はありません。
そのためには、
自分自身を育てていくことが大事になります。
そして
自分の良いところ、悪いところ、
できること、できないことを
より多く知っていることが大事です。
🎨
私の場合は、消極的優等生タイプでした。
変に、器用にいろんなことができてしまったため
周囲の大人たちが求めることを吸収し、こなせるけれど
自由な発想で、何かを生み出すことができない。
勉強はできるけれど、自分らしさがない
正論ばかり言っている
ちょっとつまらない良い人って感じです(苦笑)。
🎨
そんな私でも、
周りの大人の、誰のいうことも聞かずに
自分の心のおもむくままに
一人で行動していた時期があります。
🎨
それは中学生の時でした。
当時、部活動でブラスバンド部に入っていました。
弱小クラブで、部員が11人しかいなくて
しかも みんな なかなか練習に出てきません。
合奏の練習にもなりませんから、暇です。
ところが、音楽室には、いろんな楽器があり、
またその楽器の教則本もあります!
私は、かたっぱしから 引っ張り出してきて
教則本を見ながら、チャレンジしてみました 😄
また、練習日でもないのに音楽室に入り浸り、
ピアノの上手な友人に、いろんな曲を弾いてもらい
隣で楽しんでいました。
また、ビックバンドを聴きに行く機会があり感動した私は、
グランドピアノで、その旋律を指一本で引いてみたりと、
ともかく、
やりたい放題だったのです!
夢中になって
次から次へと、やってみようと思ったことを
試していましたから
下校時間が過ぎてしまうことも しばしば。
用務員さんに何回注意されたかわかりません😅
当然 顧問の先生の耳にも届いているはずですが、
あまり怒られた記憶がなく
たぶん多目に見てくれた 音楽の先生に
感謝しきれません!
緩やかな、おおらかな時代でしたね。
🎨
その後、
すぐ受験勉強が始まり、
また将来に対して
家庭の事情で
夢も希望も持てない選択を
しなければいけないことになり
人生に絶望した私。
また、
社会が求められた人間を演じて
生きていくことになります。
反発して それでも自分は自分だ!とは
できなかったのですね。
🎨
そんな私が、
絶望の殻を通り越して
ありのままの私を表現する楽しさに
触れるために出会うのは、
それから20年くらいかかりました。
(続く)
🎨
小学3年生になったある朝、
娘は玄関でうずくまり
「もう、行けない。」と言いました。
ついに来たか、と思いました。
🎨
「ついに」というのは、
入学式の次の日に、すでにその兆候がありました。
でも、担任の先生が毎日出す宿題プリントに
ひとこと欄があり、
その欄を通して
先生と娘の小さな交換日記が続けられ、
その間は、通うことができました。
🎨
3年生になって、先生との交換日記が続けられなくなり
3年生の半分と、4年生の半分、
そして5.6年生と行かなくなりました。
🎨
今のように SNSが使える時代ではなかったのですが
心配した周りの方々が様々な情報を持ってきてくれました。
その情報を整理しつつ、
心身ともに疲れ切っている娘の身体を
まずは 回復させることを最優先しました。
1週間くらいで、身体は回復してくるのですが、
気持ちの方が、モヤモヤしたままです。
🎨
よくよく観察していると、
私の気持ちが、モヤモヤしているので
娘もモヤモヤしていることに気がつきます。
・
ある年齢になったら、学校へ行く と
あたり前のように思っていたけれど、
そもそも学校へ行くって、どういうことか
自分の頭で考えていなかったことに
初めて 気がつくのです。
・
そして学校へ行くことの
自分なりの答えを持っていない私が、
娘が学校へ行かないことを受け入れているつもりで
一体 何を受け入れていたのやら(苦笑)
それに私自身、不登校になった体験はないので
実際 どうしたらいいのか、わからないし
確固たる考えがあるわけではなく
自信もありませんでした。
そういう弱気な私の気持ちを
娘も感じとっていたようです。
🎨
娘が これから先、
豊かな人生を生きていくのに必要なものを
「学校で学ぶ」という選択肢を
今は選びたくないと言っています。
それに対して、
私は どうやって、必要なものを学ぶ環境を
整えたらいいのか、
情報はたくさんあれど、
親として自分なりのポリシーが
必要だと思いました。
🎨
当時は、
不登校であることは、
私も世の中も
とてもネガティブな出来事として捉えていました。
周りからも、親が甘やかせすぎたから、
ひとりっ子で 可愛がりすぎたから、
引っ込み思案で、学校に行けない弱い子に育てたと
いろいろ言われました。
・
確かに
そういう面もあるかも知れません。
かなり凹みました。
けれど、ここまで
私は、私なりのポリシーを持って
自分で決めて育ててきたことです。
その時々最大限の様々な努力をして
現状の状態で済んでいるのだから
良しとしました。
・
それより、この体験が
娘の将来の「強み」に変わるように
暮らそうと思いました。
学校に通っている人たちとは
違った体験をすることになったのだから、
その視野の違いが
彼女の強みになり、良さになり、
世の中の役に立てるような何かになるように
過ごしていこうと思いました。
🎨
ここまで、考えてきて
ハタと思ったのが、
この思考と行動パターンは、
アトリエで”モノつくり”している時と
同じだということです!
・
これをやりたい、こうしようと
自分なりに決めて、
最大限、それに向かって
試行錯誤を重ねていきます。
途中で、うまく行かないことがあっても、
そこから何かをつかんで
また創意工夫して
次の一歩を生み出す。
そういうふうに
自分の人生をクリエイトしていく
シミュレーションができる場が
アトリエなのだと気づいたのです。
🎨
これは
生き方の問題。
🎨
”モノつくり”を通して
人生を学んでいく。
どうやって自分の人生をクリエイトしていくか、
失敗しても
ゲームのように人生のリセットをせず
そこから学んで、
次に活かし、
新たなモノを作り出していく。
🎨
そうなると、
アトリエでの私の在り方と
現実世界での私の生き方が
重なってきて、
アトリエでも 家庭でも
娘に対して対応を変えることは
おかしいことに気づき、
同じように接していくことを
改めて、再認識しました。
🎨
「家でも、同じなんですか?」
と、親御さんに尋ねられました。
家に帰って、私の子どもに対しても
アトリエの子供たちと同じように
やりたいことを応援するスタンスで
接しているのか?という質問です。
・
答えは
「はい、同じです!」
・
開設した当初は、小学1年生だった娘も
アトリエで創作をしていました。
最初は、大好きなお母さんが
リーダーになってやることですから
誇らしい気持ちや嬉しさからか
めちゃくちゃ手伝ってくれるんです!
・
みんな、それぞれ自分の好きなことをやり始めると
娘も 自分のやりたいことを始めます。
しばらくして気がつくんですね、
私が一人ひとり、分け隔てなく、接している様子に。
すると、不安になったようです。
今まで、そんなに 他の子どもたちに対して
心を砕いている母は、見たことありませんし、
自分が母親にとっては 一番だと思っていましたから。
・
いきなり 膝の上に乗ってくるのです。
この人は、私のものだ!と言いわんばかりに。
・
こんな時 どうされますか?
いろいろ考えがあると思いますし、
普段、どのような接し方をしているか、
その関係性によって
対応は違うと思います。
・
私の場合は、
接していた子どもに少し待ってもらって、
一番に娘のことを抱っこしました。
そして、いつも口にしている魔法の言葉を
小さく耳元で呟きました。
「○○ちゃん、大好きだよ。
母さんの宝物だよ。
何があっても、○○ちゃんの味方だよ。」
いつもと変わりなく、
自分のことを1番に大切に思っていることが伝わると、
安心して、創作に戻っていきます。
そして、
待っていてくれた子にお礼を言って、
続きをします。
その様子を見ていた他の子たちは、
自分も同じように
大切に接してもらえると思うので、
そのあとは 私の取り合いになることなく
順番を待つようになります。
🎨
家では、「あなたが一番よ」と
理想的なことを言っていても
いざ、アトリエで娘が求めてきたときに
後回しにされたら、
私は、2枚の舌を持つ人になってしまいます。
大嘘つきになってしまいます。
どんな場であっても、
娘に対して 一貫した態度を取らないと
あとが大変だと思ったので、
私は、そこをこだわりました。
🎨
また、もう一つ、
アトリエと家庭とで
対応を分けられなくなった出来事がありました。
(続く)
🎨
雪が降る中、元気にアトリエに入ってきた今日の Yくん。
2週間前と顔つきが全然変わって、
スッキリとして
ちょっとお兄さんになったように見えました。
🎨
毎日、顔を合わせていると気づけないほど
小さな変化ですが、
月に2回しか会わない私には、
その成長の変化が よくわかります。
🎨
すると 創作の内容も変化するんですね。
どんなふうに 変わるんだろうか!と
もう、ワクワクして見守ります 😃
🎨
Yくんは想像力豊かな人です。
イメージの中で、いろんなキャラクターが登場し
自由に動き回り、物語が どんどん紡ぎ出されていきます。
そのYくんの心の世界観のうち、
主人公とその身近な登場人物を
作ることが多かったのですが、
今回は、その舞台となっている背景も作り出しました!
演劇に例えると、役者と簡単な衣装だけだったのが、
大道具、小道具が増えた感じです。
🎨
こちらで指示をしないで、見守っていると
その子が、どの部分まで、
この現実世界を認識しているのか
垣間見せてくれることがあります。
自分だけの世界から、相手が現れ、
場が現れ、
相手と自分との交流が始まり、
相手の立場というのも考えるようになります。
🎨
また、一段階成長する前は、作品を作らなかったりします。
Yくんの場合も、実際1、2ヶ月あまり作品を作らなかったのです。
その時期も、とても大切で、
エネルギーをためている時期と考えています。
🎨
そして今日、久しぶりに集中して作りました。
視野が広がり、
より高い視点から
この世界を表現するようになりました。
たぶん、Yくんのイメージの中は、
もっともっといろんなモノであふれているのだろうと思います。
そのイメージを具体的に作品に作ること、
つまり アウトプットした分だけ
この現実世界で使える能力が磨かれているということです。
🎨
Yくんの成長が、ますます楽しみです!
🎨
阪神淡路大震災から25年。
私なりの追悼をさせていただきました。
🎨
その日、
テレビの画面から 驚く光景が飛び込んできて、
「なんてことだ、大変なことに…」と
ただただ、なすすべもなく
テレビの前を 私はウロウロするばかりでした。
🎨
その後知ったことですが、
震災後に、復興のためのボランティアとして、
被災された当事者であった
現地やその近くの色彩心理の勉強をした先輩方が
「空飛ぶ子どものアトリエ」として
活動をされていました。
今 なお、様々なところで
子どもたちの心の救済活動を続けていらっしゃいます。
とても誇りに思っています。
🎨
私の場合は、2001年に
これまた テレビから流れる9・11事件の映像にショックを受け、
それがアトリエを開設する理由の一つとなりました。
こんなに たくさんの人を傷つけ、
暴力的な表現をしなければ、
自分の言いたいことが伝えられないのか?
そんな思いが、頭の中をめぐっていました。
🎨
それは、もしかしたら
大きな事件だけでなく
日常のちょっとしたところで
自分、家族、友人、職場の人たちに対して
自分の心を表現する方法を知らないがために
原始的な 暴力的な方法でしか
伝えられないことにもつながるのではないか。
・
だとしたら、少しずつ自分の気持ちを
自分でケアできる場がたくさんあったなら
心の中に押し込んで 押し込みきれなくなって
人や大自然を傷つけるような
暴力的に感情を爆発させるような
そんな表現をしなくて済むのではないか?
・
それには
心に寄り添りそうように絵を描いたり、
心地よいと感じられる画材を使って創作したり、などと
”モノつくり”によって その人なりの心のセルフケアを
その人のペースで 安全に
身につけていくことが一番良いのではないか。
・
そんな場所が、世界中にあったら良いのに。
その第一歩として
小さなアトリエ を始めました。
🎨
自分の心に寄り添いながら自分の気持ちや考えは
言語化できることが一番。
だけれど、
なかなか言語化できないようなことは、
ワンクッション置いて
”モノつくり”による表現をするのが良いです。
いろいろな感情で、いっぱいいっぱいになった心に
少しスペースが生まれ、
そのスペースで、少し冷静に考えることができるから。
・
そして自分のペースで 言語化し、
過去は過去のこととして受け入れ、
また 今を生きる 瑞々しい心を
取り戻し、感じることができます。
そして、
行動への第1歩を踏み出すことでしょう。
・
自分の心を伝える方法も、
もちろん洗練されていきます。
自分も相手も尊重した
思いやり深いコミュニケーションに
繋がっていくことでしょう。
🎨
今日は、追悼をさせていただくとともに
アトリエ開設の初心に戻る日でもありました。
🎨
交流会では、ぬり絵のミニ・ワークを行います。
たまに絵を描くことに、苦手意識を持っていて、
「自由に絵を描くのは苦手です。」と
おっしゃる方がいます。
「自由」を
「心のままに」「好きなように」という言葉に置き換えても、
困ってしまう人がいます。
🎨
そういう方には、ぬり絵をお勧めしています!
色を塗るだけになりますので、
気軽に楽しんでいただけます。
好きな絵柄、気になる絵柄、嫌いな絵柄など
心に何か動きのある絵柄のぬり絵を選んでもらいます。
そして、
好きなように色を塗ってもらうのですが、
それも苦手な方がいます。
そういう時は、
「心のままに」「好きなように」ということより
見た通りの色や、一般的な色で塗ってもらいます。
🎨
私が、自己表現の場を提供する中で、
自分の思うように表現できない方を観察してきて
学ばせていただいたのが、
「自由」であるには、
「安心・安全」であることが前提にある
ということです。
そして、「安心・安全」であるかどうかの判断は、
「心地良さ」だと思います。
🎨
そして、
必ず、私も隣で一緒に表現します。
私が、どれだけ自由な発想で
どれだけ 自分の心に正直であるかが問われますね。
素敵な絵を描いたり、
人に感心されたり、
評価されたりする絵でなくていいということを
体感してもらうためです。
🎨
また、絵を描くためには、
いろんな能力が必要です。
形を捉える力、
色を感じる力、
色を作り出す力など、たくさんあります。
それを学ぶために、
子どもたちは、誰かの「模倣」をします。
それと同じことを
ぬり絵ワークを通して、吸収してもらいます。
🎨
すると、時間はかかりますが、
いつの間にか
自由表現ができるようになってきます。
すると、
子どもたちの自由でのびのびとした部分を
受け入れられやすくなります。
(続く)
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