こころ和むストリングスの世界~子どもたちから音のおくりもの
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先日、映画「ヤコブへの手紙」を観ました。
何気なく手にした映画のチラシにある、手紙を読み上げる女性と、老牧師が座っている、白樺の林に惹かれました。。。
フィンランドの映画です。監督はクラウス・ハロ氏。
チラシのお二人は、信者から毎日のように届く手紙に応え祈る盲目の老牧師ヤコブと、恩赦を受けた元囚人の女性レイラ。映画の詳しいストーリーや作品解説は、もろもろのものにお任せします。
公式サイト:http://www.alcine-terran.com/tegami/
一番心に響いたのは、映画が始まってすぐに流れてきた、ピアノでの映画のテーマ曲。
シンプルな音の重なり合いだけれど、こころのすみずみまで、水面に波紋が広がるようにしみわたっていく響き。
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私は、ちょっとピアノの音が苦手で、、、というのも、子どもの頃とてもヒステリックなピアノの先生に習っていて、怒られるキンキンした音と、怒りにまかせて激しく打ち付ける音が、すっかり刷り込まれているから・・・みたいです。
でも、よくよくいろんな曲を聴いてみれば、そればかりではないことがわかってきたので、この頃は、少しずつ楽しめるようになってきています
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さて、話を元に戻しますが、映画の全般に渡って流れている、そのテーマ曲がすてきです。
予告編でも流れているので、ぜひぜひ聴いてみてくださいませ!
そして、次に私の心をとらえたのは、レイラの着ているジャケットの色です。
映画の冒頭は、恩赦になったことを彼女に伝えるシーンなのですが、全体的に画面は灰色。12年間過ごしたところから出るというのに、喜びも何もない。ただ「余計なことをしてくれたよ~」みたいな、仏頂面のレイラ。
そのレイラが、ヤコブのいる牧師館を訪ねていくとき、白地に小さな水色の花柄のブラウスに、少しくすんだ黄色のジャケット、そしてパンツはグレイの姿で表れるのです。
そのときに、こころのなかに広がった違和感。
この状況で、黄色を表現するって、どういうことだろう???
違和感を感じながら、そのまま観ていくと、だんだん不協和音的な要素が私の中で広がっていく。
クライマックスを迎え、想像もしていなかった展開に、「なんてこった!」と呆然とする。
そして、ラストシーンに再びレイラが黄色のジャケットを着ているのですが、そのときにやっと、この黄色のジャケットの、私にとっての意味がわかりました!
あとで、いろいろ調べてみたら、クラウス・ハロ監督のインタビューが載っていて、「誰の役にもたたない人間はいない」という言葉が出てきて、そのメッセージが、私にはレイラのジャケットの「黄色」という色を通しても、伝わってきたんだなぁと思います。
これらのこと以外にも、いろいろ感じるところがあって、きっとその時々の自分が必要としているメッセージを幾通りにも受け取れることのできる映画なのだろうなぁと思います。
穏やかに、遠くから 遠くから あたためてくれるような そんな映画でした
当時お世話になっていた助産院に集っていた、同じ育児中のママの紹介で、「わらべうた」に出逢いました。
これには、私が はまりました!
「わらべうた」は、口承で伝えられます。
少し年上の子どもたちが、遊びながらうたっているのを、耳で聴いて、一緒に歌えるところだけでも歌ったり、真似て手振りをしてみたり。。。労働の時に歌っているのを聴いたり、おじいちゃん、おばあちゃんが歌っているのを聴いたり、眠りに就く時に子守唄を聴いたり。。。
「わらべうた」から発展して、その他昔ながらの土地の歌が、どんなふうに歌われていたのかなども、学びました。
悲しい時は、ただただ「悲しい~」と、うれしい時も、ただただ「うれしいぃ~」と、どちらも同じ節で歌うというのもあり、驚きました。(この後、演劇のワークショップに参加して、怒りも歓びも体感覚が同じであることを知り体感し、今なら納得いきます)
特別な舞台がある訳でなく、誰かに見せるためでもなく、そのために必死に練習するわけでもなく、それ以前に、生活のいたるところで、身近な人々と、あるいはたった独りで、「うた」はこころを表現するのに、当たり前のようにあった。。。
ずっと子どもの頃から、なぜか音楽にはこころ惹かれるのだけれど、どうしても核心部分にたどりつけない。上記のように「うた・音楽」を楽しんでいる子どもや大人も周りにいなかったし、音楽とは習って身に付けるものという考えもあったのかな? 方法論が先に立って 「楽譜を正確に歌うこと。演奏すること。」という考えにがんじがらめになっていた私には、音楽の始まり、芽生え、原点中の原点などと言うのかな? そういうものを初めて「うた・音楽」で、こころから触れるのに、「わらべうた」はシンプルで楽しく、ラッキーな出逢いだったと思います。今、思えば…です。
ところが、当時は 何事も必死で こころをゆっくり動かして、味わう余裕があまりなかったです。
でも、その「わらべうた」の時間だけは、少しでも本来の「うた」に近づく こころの状態が生まれるようで、たぶん「この歌、好きだなぁ~」「かわいい歌だなぁ」と思えた歌が、今でも覚えているんだろうなぁと思います。
「わらべうた」がいいなぁと思えた、もうひとつの理由は、子どもたちの集中力です。
好奇心一杯の1,2歳の子どもたちですから、大人たちが、ひとつのことに集中させようとするのは、至難の技。次から次へと関心が移ります。だけど、それが本来の姿だと思います。
ところが、「始めるよ~」なんて言わなくても、先生が歌いだすと、その場で振り返り、先生に釘付け。15分くらい(もうちょっと短かったかな?)は、集中しているのです。
節のつけ方が、喋り言葉の延長で、2,3音の音の高低やリズムがついているから、喋りかけられているような、心地よさがあるのかもしれません。
赤ちゃんと、どうやって楽しんだらいいのか、全然わらかなかったのですが、自分の好きなことで、こんなふうな楽しみ方があったのですね。
音楽との出逢いが、一番身近で、大好きな人から、ナマの声で、歌ってくれ、楽しく遊びながら、大事に想っている・・・そのこころも そっと伝わってくるものだったら、本当に素敵だなぁと思います。
赤ちゃんは、ニコニコして よく笑うもの。。。と思っていました。
ところが、うちの娘は あやしても 何しても まったく 笑いません。
大きな瞳で じーーーーっと 見つめているだけです。
ところが、
ある時、可笑しなことがあって、私は お腹を抱えて笑っていました。
ふと、娘を見ると、私を見ながら、ニコニコ 笑っているじゃありませんか?!
あ、この人は、
私が こころを しっかり動かさないと、
反応しない人なんだ…と思いました。
いくら 楽しそうに あやしても 話しかけても
ぜんぜん 笑わなかったり、目が輝かなかったことを思い出し、
もしかして、
私は こころの底から、楽しかったり、笑ったりすることが、
あまり無いのかなぁと 振り返り、
なんだか 恐ろしくなりました。
こころを 柔らかく、また再びしっかり動かせるようにするには、どうしたらいいんだろう?
「やらなきゃいけないこと」に追われて、それをこなす日々を何年も送ってきた私は、自分が 何が好きで、何がしたいのか、こころの底から…というのが、わからなくなっていたようです。
そんなときに、
わらべうた に 出逢ったのでした。
昨晩、Mちゃんと、娘と私の3人で、
パッフェルベルの「Kanon」を Violinで 合わせました
溶けあう 3人の響き。
とっても 気持ち良かった~
Mちゃんは、その日の昼間の演奏会で ファーストを弾き、
「いつもは、追いかけるパートだったけれど、
今回、先を弾く体験が新鮮だった」と言い、
娘は、セカンドの私のパートが「一番おいしい」と
言い出しました。
ファーストとも、サードとも、両方と合わせる楽しさがあると…。
それで、今度合わせる時は、違うパートを順番に回して
弾いてみようということになりました
どんな響きになるのかな?
次の 合わせが、またまた 楽しみです!
久しぶりに 今人(いまじん)の 音楽劇を観にいきました!
万物肯定型エネルギー源
音楽劇『今人~いまじん~』
~個々、此処、心(こころ)~
2010年9月26日(日)三鷹・沙羅舎
10年くらい前に、創作ミュージカルで ご一緒したり、
合唱で 一緒だった仲間たちと再会。
懐かしい顔、かお、!(^^)!・・・
本当に ひさしぶりなので、
気恥ずかしさからくる ぎこちなさもあったり、
懐かしい うれしい気持ちもあったり…。
同窓会のようでした。
音楽劇は、とてもユニークで、新しいアートです。
やわらかくて、楽しくて、
ナチュラルで
今を生きる若い人たちの
すてきな 音楽劇でした!
マイクを通さない、
ナマの歌声。
そして 電子音を使うものでも、
極力 ボリュームを下げた
ナマの声を 思いやる 優しい音。
そんなところも、
気に入ってます。
これからの、
世界に ピッタリの 音楽劇だと 思っています
河村典子さん「ヴァイオリン ひとり」の演奏会。
葉っぱをめくると数多のイキモノが表れそうな
素敵な絵に囲まれながら、
奏者から、2メートルも離れていないところで、
Violin 無伴奏ソナタ&パルティータを 聴きました
・
宇宙酔いしました
2日経った 今も 手がジンジンしています
・
演奏の後、少しお話させていただきましたが、
気さくで、温かい優しいお姉さんという印象を受けました。
100回と決めて、「ヴァイオリン ひとり」を全国行脚。
2005年9月から始められて、今回は78回目だそうです。
・
私は、生演奏の、バッハの無伴奏を、
CDで聴くのとは、まったく違う曲に、聴いているみたいです。
今回も、頭のどこか冷静な部分では、
バッハだと理解しているのだけれど、
それもかき消されてしまうくらいの、
音の響きが、波動が、全身の細胞を
揺すられたような感じでした。
意味もなく 訳もなく 涙が じんわり…
・
聴きにいくことが出来て、本当によかったです。しあわせです。
感謝
人前に立つことも ドキドキするのに、しゃべったり、演奏するなんて、とても緊張します。
そういう私に「歌を習ったらどう? (リラックスするための)呼吸法にもなるし、いいんじゃない?」と勧めてくれる友人がいました。
そのとき、数少ない「褒められ体験」=小学2年生の頃「ピアノは下手だけど、ソルフェージュで歌うのは良いわね」とピアノの先生に言われたこと。を思い出しました。
また、紹介された歌の先生のパンフレットの文言に「自分の本来の声を探したい」など、惹かれるものがあり、自分の良いところを伸ばすことで緊張が気にならなくなるのなら、それもいいかな?と思い、さっそくレッスンを受けに行くことにしました。
発声の基本的なこと、目からウロコの呼吸法など教えていただきました。そこで、私が一番難しかったことは、「○○したい」という気持ちから、歌ったり、話したり、朗読したり…ということでした!
これには、愕然としました。
そこに来ている人たちは、「○○したい」という”表現の種”がちゃんとあるのに、テクニック的な事がおぼつかなかったり、他の何かが邪魔をして、ストレートに歌えない、語れなかったりする人が多かったのです。
ところが私は、楽譜を渡されれば 音程・リズム正しく、それなりに器用に歌えるし、朗読も文脈を理解して それなりに器用に語ることはできるけれど、逆に「○○したい」という自分の欲求がないのです。
どうして”欲求=表現の種”がないのか?
応えは、人によって違うのでしょうけれど、私の場合、「○○したい」という気持ちを、物心ついた時から、無視して来たためだと思います。
”穏やかな良い子でいること”
そのことが、幼い私にとって 生き延びるために 未熟ながら考えついた選択でした。自分のことより、親、先生、学校、会社、社会が望む、「穏やかで良い子」をし続けた結果です。
似たような事が、今の子どもたちにも、求められているような気がします。
良い子であること。
子どもは、わがままで 生意気で 聞き訳がないのが 当たり前です。
なぜなら―――小さな身体をして、まだ人生数年しか生きていませんが、「○○したい」というちゃんとした、確固たる自分の「生きよう」とする意志があるのです。
ただそれを表現する方法が、未熟なだけなのです。
だから、ちょっと先輩の大人たちは、その未熟な表現にいちいち感情的になったりせず、距離をおいて、正しく表現されているか否かより、何を表現したいのかな?と気持ちに向き合うようにすると、子どもは安心します。
なぜかというと、「気持ち・感情」=「自分」と思っている時期ですから、気持ちを受け止められると、自分自身を受け止められた と思い、気持ちが安定します。落ち着きます。自己肯定感が育ってきます。
そういう信頼関係を先につくることが 大事だと思います。
そして安心して表現できる(言える、感じる、など)環境のなかで、「○○したい」という一種の自己実現のために、どうしたらいいのか、試行錯誤をするなかで、「わがまま、生意気」などと思ってしまうようなものも、洗練され、建設的なものへと変化していくように思います。
アトリエでの子どもたちの創作、表現は、3歳ならそれまでの3年間の人生のすべてをかけて、また5歳ならそれまでの5年間のすべてをかけて、「○○したい」ことを実現しようと、持てる力を総動員して、創作・表現している様子を、感じます。
その姿は、とても美しいです。
20年くらい前、初めてナマのプロのオーケストラの演奏会へ行って、ものすごく感動しました。あまりに興奮しすぎたんだろうと思うのですが、どこのオーケストラで、何の曲目なのかは覚えていません
「あの舞台の上にいる オーケストラの人々のなかで聴いたら、どんなふうに音が聴こえるんだろうか?」
居ても立ってもいられず、
「それにはオーケストラで弾いてみるのが一番!」
と、すぐ 行動
普段、非常に のんびりやで グータラしている人間であるだけに、周囲はビックリするようですが・・・
いくつかのアマチュア・オケにお世話になりましたが、そのうちのひとつの演奏会が、近日あります。
お近くの方は、ぜひ どうぞ!
水星交響楽団 第44回定期演奏会
2010.9.20(月祝) 14:00開演 (13:30開場)
すみだトリフォニーホール 大ホール
曲目 : オール・プロコフィエフ・プログラム
交響曲第7番 ヴァイオリン協奏曲第1番
バレエ音楽「ロメオとジュリエット」(全曲版より抜粋)
(齊藤栄一氏オリジナルテキストによる語り付き)
指揮:齊藤 栄一
ヴァイオリン:田野倉 雅秋 語り:光枝 明彦
「水星交響楽団」公式ホームページ
http://www.geocities.jp/suikyou_web/
※ちなみに、今は、オケでは弾いていません。
今は、弦楽合奏が、自分に ちょうどいいみたいです。
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