映画・テレビ

映画「ライフ・イズ・ビューティフル」

いつもは、テレビを見ないのだけれど、
1カ月くらい前、ふと思い立って、テレビの電源を入れた。

ちょうど、放映されていたのが、

 

イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」。
http://www.asmik-ace.com/LifeIsBeautiful/

ユダヤ系イタリア人のグイドが、息子のジョスエとともに、
ナチスの収容所行きの貨物列車に乗せられてしまうところ、
ユダヤ系でもない奥さんのドーラも自ら乗り込んでしまう場面だった。

収容所に着いたら、5歳のジョスエを怖がらせないように、
グイドが、「これはゲームなんだ」とジョスエに嘘をつく。

絶望が渦巻く世界の中で、
明るく陽気にジョスエを楽しませるグイドの姿に、
観ながら「まぁ、映画だからね…」となんとなく違和感を感じていた。


だけど、


あの地震と津波が起こって以来、

この映画のことが

ふとした折に 

脳裏に浮かんでくる…。



何が起きても、グイドのように、

自分の手で「美しい人生」にしてしまう強さを。


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映画「ヤコブへの手紙」

先日、映画「ヤコブへの手紙」を観ました。

 

何気なく手にした映画のチラシにある、手紙を読み上げる女性と、老牧師が座っている、白樺の林に惹かれました。。。 

 

フィンランドの映画です。監督はクラウス・ハロ氏。

 

チラシのお二人は、信者から毎日のように届く手紙に応え祈る盲目の老牧師ヤコブと、恩赦を受けた元囚人の女性レイラ。映画の詳しいストーリーや作品解説は、もろもろのものにお任せします。

 

公式サイト:http://www.alcine-terran.com/tegami/

 

 

一番心に響いたのは、映画が始まってすぐに流れてきた、ピアノでの映画のテーマ曲。

 

シンプルな音の重なり合いだけれど、こころのすみずみまで、水面に波紋が広がるようにしみわたっていく響き。

 

 

私は、ちょっとピアノの音が苦手で、、、というのも、子どもの頃とてもヒステリックなピアノの先生に習っていて、怒られるキンキンした音と、怒りにまかせて激しく打ち付ける音が、すっかり刷り込まれているから・・・みたいです。

 

でも、よくよくいろんな曲を聴いてみれば、そればかりではないことがわかってきたので、この頃は、少しずつ楽しめるようになってきています 

 

 

さて、話を元に戻しますが、映画の全般に渡って流れている、そのテーマ曲がすてきです。

 

予告編でも流れているので、ぜひぜひ聴いてみてくださいませ! 

 

 

そして、次に私の心をとらえたのは、レイラの着ているジャケットの色です。

 

映画の冒頭は、恩赦になったことを彼女に伝えるシーンなのですが、全体的に画面は灰色。12年間過ごしたところから出るというのに、喜びも何もない。ただ「余計なことをしてくれたよ~」みたいな、仏頂面のレイラ。

 

そのレイラが、ヤコブのいる牧師館を訪ねていくとき、白地に小さな水色の花柄のブラウスに、少しくすんだ黄色のジャケット、そしてパンツはグレイの姿で表れるのです。

 

そのときに、こころのなかに広がった違和感。

 

この状況で、黄色を表現するって、どういうことだろう???

 

違和感を感じながら、そのまま観ていくと、だんだん不協和音的な要素が私の中で広がっていく。

 

クライマックスを迎え、想像もしていなかった展開に、「なんてこった!」と呆然とする。

 

そして、ラストシーンに再びレイラが黄色のジャケットを着ているのですが、そのときにやっと、この黄色のジャケットの、私にとっての意味がわかりました!

 

 

あとで、いろいろ調べてみたら、クラウス・ハロ監督のインタビューが載っていて、「誰の役にもたたない人間はいない」という言葉が出てきて、そのメッセージが、私にはレイラのジャケットの「黄色」という色を通しても、伝わってきたんだなぁと思います。

 

 

これらのこと以外にも、いろいろ感じるところがあって、きっとその時々の自分が必要としているメッセージを幾通りにも受け取れることのできる映画なのだろうなぁと思います。

 

 

穏やかに、遠くから 遠くから あたためてくれるような そんな映画でした 

 

 

 

 

 

 

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観に行ってきました! 「その街のこども」

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2010年12月16日の記事に載せた、映画『その街のこども』劇場版を観に行ってきました。

映画には、当時、出張アトリエ「空とぶ子どものアトリエ」で子どもたちが描いた絵が、使われていました。また入口には、子どもたちの絵が展示されていました。

「震災」ということで、ひとくくりされるけれど、その体験はさまざまだし、とらえ方感じ方は全く違う…。

その違いが、こころの「溝」と言っていたけれど、そのひとりひとりの「溝」が大事に描かれていて、それぞれが自分のテンポで乗り越えようとしている…それを乗り越えられた人も乗り越えられない人も、体験した人もしていない人も、その人なりの在り方で、そばにいて、、、。

いろんな想いで 胸がいっぱいで、うまく言えない。。。

いっぱいいっぱい 涙が あふれてきました。

2月13日まで 東京都写真美術館で上映しています。

とっても お勧めです! 

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映画「セラフィーヌの庭」

今日は、私にとって「セラフィーヌ Day」です。

 

たった1枚の彼女の絵のために 世田谷美術館を訪れた後、

 

岩波ホールで上映中の「セラフィーヌの庭」を観てきました。

 

 

とっても よかった・・・いろんな想いが 駆け巡っています。。。

 

女性画家セラフィーヌと、収集家のウーデとの

 

心の 交流が、あったかく 誠実で、思いやりに満ちています。

 

精神病院で 悲しみに泣き続けるセラフィーヌに

 

ウーデが したこと。

 

それは かつて ウーデが 悲しみに涙した時に

 

セラフィーヌが  そっと ウーデにした 小さな優しい思いやり。

 

思わず、ホロリとしてしまいました。

 

 

セラフィーヌと同じ年に生まれ、同時代を生き、

 

1年も違わずに、同じように 精神病院で亡くなり、

 

映画にもなった ロダンの愛弟子カミーユ・クローデルの

 

一途さ、情熱、激しさも好きですが

 

信心深いセラフィーヌの 

 

自然のモノだけでなく 「磨いている鍋」にも 神を見る眼差しと

 

子ども心のままに、絵を描くことが 

 

そのまま「生きること」につながっている姿も好き。

 

言葉では とても語り尽くせないけれど、

 

この世界の美しさに魅了し続け、こころのままに絵を描く姿は、

 

アトリエの子どもたちとも つながります。

 

ずんぐりむっくりな家政婦のセラフィーヌの外観と、

 

子どもたちは、だいぶ違うように 見えるけれど、

 

でも 彼らが 見出しているモノは、

 

近いものがあるんだろうなぁ…。 

 

 

映画「セラフィーヌの庭」公式サイト

 

http://www.alcine-terran.com/seraphine/

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葦牙(あしかび)

今日『葦牙(あしかび)―こどもが拓く未来』という映画を観てきました。

 

3日に一人、虐待によって命を落としている子どもがいると言います。「この映画は、虐待を受けた子どもたちの心の奇跡と、それを見守り、育み、心の回復に真剣に立ち向かおうとする人々の記録です。」(映画パンフレットより)

 

『葦牙―あしかび―こどもが拓く未来』
http://www.kazesoyo.com/

 

正直なところ、とても重いテーマで、いろいろ感じることころがあっても、なかなかそれが言葉になりません。でも、いろんなことを考えさせられる、とても良い映画なので、もしお時間があるようでしたらお勧めの映画です。観に行ってみてください。

 

身体的暴力による虐待だけでなく、アリス・ミラーの著書『あなたのためを思って』(日本語タイトル「魂の殺人」)のなかに書かれている、しつけや教育による精神的虐待もあります。

 

どうか、子どもが子どもらしく、のびのびと生きられますように。

 

そして、子ども時代にのびのびできなかった大人たちが、胎内にいるときのような、純粋な気持ちを、また取り戻せますように。

 

私に出来る小さな一つとして、アトリエを続けていくことを、また再確認したのでした。

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