自由表現ってなんだろう? その2
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前回は
「私が、自己表現の場を提供する中で、
自分の思うように表現できない方を観察してきて
学ばせていただいたのが、
「自由」であるには、
「安心・安全」であることが前提にある
ということです。
そして、「安心・安全」であるかどうかの判断は、
「心地良さ」だと思います。
と、書きました。
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自由に表現できないのは、
心のブロックがあり、
そうできなかったということもあります。
小さい頃から、
言動を否定されたり、
できないことばかり指摘され続けて
無能扱いされ続けた経験がある。
あるいは、
逆に良い子であることを求められ
親の思うような、素直で従順で
親や大人の思うような 言動をし続けてきた経験がある。
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どちらの環境であっても、
自分自身が
ありのままの自分を大事にしていたら
あまり影響はありません。
そのためには、
自分自身を育てていくことが大事になります。
そして
自分の良いところ、悪いところ、
できること、できないことを
より多く知っていることが大事です。
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私の場合は、消極的優等生タイプでした。
変に、器用にいろんなことができてしまったため
周囲の大人たちが求めることを吸収し、こなせるけれど
自由な発想で、何かを生み出すことができない。
勉強はできるけれど、自分らしさがない
正論ばかり言っている
ちょっとつまらない良い人って感じです(苦笑)。
🎨
そんな私でも、
周りの大人の、誰のいうことも聞かずに
自分の心のおもむくままに
一人で行動していた時期があります。
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それは中学生の時でした。
当時、部活動でブラスバンド部に入っていました。
弱小クラブで、部員が11人しかいなくて
しかも みんな なかなか練習に出てきません。
合奏の練習にもなりませんから、暇です。
ところが、音楽室には、いろんな楽器があり、
またその楽器の教則本もあります!
私は、かたっぱしから 引っ張り出してきて
教則本を見ながら、チャレンジしてみました 😄
また、練習日でもないのに音楽室に入り浸り、
ピアノの上手な友人に、いろんな曲を弾いてもらい
隣で楽しんでいました。
また、ビックバンドを聴きに行く機会があり感動した私は、
グランドピアノで、その旋律を指一本で引いてみたりと、
ともかく、
やりたい放題だったのです!
夢中になって
次から次へと、やってみようと思ったことを
試していましたから
下校時間が過ぎてしまうことも しばしば。
用務員さんに何回注意されたかわかりません😅
当然 顧問の先生の耳にも届いているはずですが、
あまり怒られた記憶がなく
たぶん多目に見てくれた 音楽の先生に
感謝しきれません!
緩やかな、おおらかな時代でしたね。
🎨
その後、
すぐ受験勉強が始まり、
また将来に対して
家庭の事情で
夢も希望も持てない選択を
しなければいけないことになり
人生に絶望した私。
また、
社会が求められた人間を演じて
生きていくことになります。
反発して それでも自分は自分だ!とは
できなかったのですね。
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そんな私が、
絶望の殻を通り越して
ありのままの私を表現する楽しさに
触れるために出会うのは、
それから20年くらいかかりました。
(続く)
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