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阪神淡路大震災から25年に寄せて

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阪神淡路大震災から25年。

私なりの追悼をさせていただきました。

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その日、

テレビの画面から 驚く光景が飛び込んできて、

「なんてことだ、大変なことに…」と

ただただ、なすすべもなく

テレビの前を 私はウロウロするばかりでした。

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その後知ったことですが、

震災後に、復興のためのボランティアとして、

被災された当事者であった

現地やその近くの色彩心理の勉強をした先輩方が

「空飛ぶ子どものアトリエ」として

活動をされていました。

今 なお、様々なところで

子どもたちの心の救済活動を続けていらっしゃいます。

とても誇りに思っています。

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私の場合は、2001年に

これまた テレビから流れる9・11事件の映像にショックを受け、

それがアトリエを開設する理由の一つとなりました。

こんなに たくさんの人を傷つけ、

暴力的な表現をしなければ、

自分の言いたいことが伝えられないのか?

そんな思いが、頭の中をめぐっていました。

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それは、もしかしたら 

大きな事件だけでなく

日常のちょっとしたところで

自分、家族、友人、職場の人たちに対して

自分の心を表現する方法を知らないがために

原始的な 暴力的な方法でしか

伝えられないことにもつながるのではないか。

だとしたら、少しずつ自分の気持ちを

自分でケアできる場がたくさんあったなら

心の中に押し込んで 押し込みきれなくなって

人や大自然を傷つけるような

暴力的に感情を爆発させるような

そんな表現をしなくて済むのではないか?

それには

心に寄り添りそうように絵を描いたり、

心地よいと感じられる画材を使って創作したり、などと

”モノつくり”によって その人なりの心のセルフケアを

その人のペースで 安全に

身につけていくことが一番良いのではないか。

そんな場所が、世界中にあったら良いのに。

その第一歩として

小さなアトリエ を始めました。

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自分の心に寄り添いながら自分の気持ちや考えは

言語化できることが一番。

だけれど、

なかなか言語化できないようなことは、

ワンクッション置いて

”モノつくり”による表現をするのが良いです。

いろいろな感情で、いっぱいいっぱいになった心に

少しスペースが生まれ、

そのスペースで、少し冷静に考えることができるから。

そして自分のペースで 言語化し、

過去は過去のこととして受け入れ、

また 今を生きる 瑞々しい心を

取り戻し、感じることができます。

そして、

行動への第1歩を踏み出すことでしょう。

自分の心を伝える方法も、

もちろん洗練されていきます。

自分も相手も尊重した

思いやり深いコミュニケーションに

繋がっていくことでしょう。

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今日は、追悼をさせていただくとともに

アトリエ開設の初心に戻る日でもありました。

 

 

 

 

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