わらべうたに 出逢う
当時お世話になっていた助産院に集っていた、同じ育児中のママの紹介で、「わらべうた」に出逢いました。
これには、私が はまりました!
「わらべうた」は、口承で伝えられます。
少し年上の子どもたちが、遊びながらうたっているのを、耳で聴いて、一緒に歌えるところだけでも歌ったり、真似て手振りをしてみたり。。。労働の時に歌っているのを聴いたり、おじいちゃん、おばあちゃんが歌っているのを聴いたり、眠りに就く時に子守唄を聴いたり。。。
「わらべうた」から発展して、その他昔ながらの土地の歌が、どんなふうに歌われていたのかなども、学びました。
悲しい時は、ただただ「悲しい~」と、うれしい時も、ただただ「うれしいぃ~」と、どちらも同じ節で歌うというのもあり、驚きました。(この後、演劇のワークショップに参加して、怒りも歓びも体感覚が同じであることを知り体感し、今なら納得いきます)
特別な舞台がある訳でなく、誰かに見せるためでもなく、そのために必死に練習するわけでもなく、それ以前に、生活のいたるところで、身近な人々と、あるいはたった独りで、「うた」はこころを表現するのに、当たり前のようにあった。。。
ずっと子どもの頃から、なぜか音楽にはこころ惹かれるのだけれど、どうしても核心部分にたどりつけない。上記のように「うた・音楽」を楽しんでいる子どもや大人も周りにいなかったし、音楽とは習って身に付けるものという考えもあったのかな? 方法論が先に立って 「楽譜を正確に歌うこと。演奏すること。」という考えにがんじがらめになっていた私には、音楽の始まり、芽生え、原点中の原点などと言うのかな? そういうものを初めて「うた・音楽」で、こころから触れるのに、「わらべうた」はシンプルで楽しく、ラッキーな出逢いだったと思います。今、思えば…です。
ところが、当時は 何事も必死で こころをゆっくり動かして、味わう余裕があまりなかったです。
でも、その「わらべうた」の時間だけは、少しでも本来の「うた」に近づく こころの状態が生まれるようで、たぶん「この歌、好きだなぁ~」「かわいい歌だなぁ」と思えた歌が、今でも覚えているんだろうなぁと思います。
「わらべうた」がいいなぁと思えた、もうひとつの理由は、子どもたちの集中力です。
好奇心一杯の1,2歳の子どもたちですから、大人たちが、ひとつのことに集中させようとするのは、至難の技。次から次へと関心が移ります。だけど、それが本来の姿だと思います。
ところが、「始めるよ~」なんて言わなくても、先生が歌いだすと、その場で振り返り、先生に釘付け。15分くらい(もうちょっと短かったかな?)は、集中しているのです。
節のつけ方が、喋り言葉の延長で、2,3音の音の高低やリズムがついているから、喋りかけられているような、心地よさがあるのかもしれません。
赤ちゃんと、どうやって楽しんだらいいのか、全然わらかなかったのですが、自分の好きなことで、こんなふうな楽しみ方があったのですね。
音楽との出逢いが、一番身近で、大好きな人から、ナマの声で、歌ってくれ、楽しく遊びながら、大事に想っている・・・そのこころも そっと伝わってくるものだったら、本当に素敵だなぁと思います。
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