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2010年10月

スペシャル講座・参加 ③

前回は、台風の影響で秋雨前線が刺激された

大雨の日でしたが、

今回は 台風一過、、、

少し どんより ぼんわりと生暖かい日、

第3回目に参加してきました。

また 大発見があり、

今回も 実り深い1日になりました。

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リンゴジャムと にこにこホッペ

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鷺沼駅近くの ビゴのパン 

もちもち した 食感が おいしいです。

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手作り リンゴジャム 

夕ご飯に 一口頂いたら、あまりに おいしかったので、

慌てて、カメラに収めました 

お味も、この色合いも、

最高です!

「行きたいなぁ~ 鷺沼・・・」

そう思っていたら、2日前、Sさんからメールが。。。

そういうときって、すぐに逢える。

久しぶりの再会。

Sさんと逢う時は、いつも、

ただただ うれしく にこにこ になってしまう。。。

彼女の心遣いが、いつも優しくて、謙虚で、

あったかくて、お茶目で、自由さに あふれている。

今回も

心地良い、自然素材の服にかこまれたり

おいしい香りに 包まれたり、

音楽の話をしたり、

アトリエの話をしたり、

また、彼女から、

サプライズの お手製 極上リンゴジャム  をいただいたり…。

彼女も、私も、うれしさは 隠せなくて、

無邪気に 笑いあってしまう。

そして、自分で言うのもヘンだけど、

逢うたびに

私たち、

ますます 

かわいくなっていく・・・・・・ような 気がする! 

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時を染める

急激に寒くなってきました。。。

山の方は、紅葉がすすんでいるのかなぁ~?

紅葉狩りに行きたい この頃です。。。

そういえば、

私の大好きな歌「一本の木」

(屋久島在住の長井三郎さんの詩)の

3番の歌詞。

秋を歌っています。

秋、赤い雨が降る

立ち尽くす 一本の木

宵の光、ほのかに

移りゆく葉が 時を染める

言葉も、とてもきれいです。

この歌には、どなたかが手話もつけていて、

 「移りゆく葉が 時を染める」 というところの手話が

私は、とっても好きです。

「染める」という言葉に、「地球が回る」という表現をつけています。

なんとも、宇宙までの 広がりがあって

悠久の時の流れを感じます。

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弱さのなかに

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その光、

何を射しているの?

昨日、エプロンをいただきました。

静岡にある「ラルシュ・かなの家」の支援グループが作ったそうです。

さっそく調べて、HPを拝見しました。

愛するとはまず何かをしてあげることでなく「その人の素晴らしさに気づく事だ」と知らされます。

まず、この言葉に釘付けです!

知的ハンディを持った方に対して、そしてそれだけでなく、弱い立場の方たちに対して、すべての人に言えることなんだなぁと思いました。

そして、将来私も、ハンディを負うことになると思います。

そのときに、自分でも、ハンディを負った自分(弱さ)のなかにある素晴らしさに気づいていける人間になりたいなぁと思います。

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・・・

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12歳の女の子の

悲しいニュースを聞きました。

  

こころが 痛みます。

  

  

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秋の夜長

積読を ただいま 少しずつ 読み始めました。

夏休みの間に読もうと思っていたのだけれど、

今年は、暑くて…

あれ? こんなところに、応えが書いてある!とか、

じわわんと こころ温かくなる ストーリーだったり、、、

さまざまに、

秋の夜長を 楽しんでます。

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雑誌掲載

10月15日に創刊発売された

「0歳からの教育マガジン・プレジデントBaby」という雑誌に、

青山にある、本部アトリエ”プチクラス”の記事が掲載されました。

見開き4ページに渡って、紹介されています。

ご家庭での アトリエスペース作りなどに、お役立てくださいね。

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自分で

自分で 選んで、

自分で 決めたことは、 

頑張れるし、

責任がとれる。

今日は、

恩師の その言葉が 

こころに染みた1日でした。

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ていねいに

最近、娘が はまっている海外ドラマがあります。

その放映のなかで、

「つらい時もあるけれど、

 毎日 丁寧に過ごすことだ」

という セリフが 今日は こころに 染みました。。。

自棄にになってしまうことも、いっぱいあるけれど、つらくて大変な自分に、なにか建設的なことをしてあげたい。。。

そんなときのひとつが 絵を描くことです。

小さい子どもが お絵描きを楽しむように、

快い感じで…

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コーヒーブレークを

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ふと窓の外を観れば、光が射し込んできました。

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ちょっと気分転換に。

ローズマリーの花や、ラベンダーがまた一段と大きくなって、眺めたり、触ったりして、香りを楽しみました。

全滅していたと思っていた、バジルも元気になっていました!

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ミニ・ヒイラギの 新芽が出ていました。

さて、また あともうひと頑張り!

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また 明日

さっきからパソコンの前に座っているけれど、

今日中に書けないですね・・・。

まとまりません。

一度 眠ってから

整理されたものを書きたいと思います。

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絵を描き始めた頃

娘が、お座りが出来始めたある日のこと。

機嫌良くお喋りしているけど(何を喋っているかはよくわかりません)何をしているのかな?と家事の手を休めると、

なんと、冷蔵庫にいたずら書きをしているじゃ、ありませんか!

ぎょっ   としましたが、

彼女の手の届くところにペンを置いておく私も悪いし、彼女の<生死に関わるような危険>は無かったので、「わーーーーっ」と怒鳴りたいところを、ちょっと待って、しばらく観察することにしました。

ちょうど、お座りした高さで、描きやすい位置に、冷蔵庫の扉があること。

娘は、体力があまり無い 赤ちゃんだったので、一度お気に入りの場所が見つかると、そこでじっと座りこんで、長い間遊べる状況だったこと。

また、使っているペンは、ホワイトボードに使うペンで、力があまりない娘には、柔らかくて、とても描きやすいこと。そして後で水拭すれば、ほぼ完璧に落ちること。

その頃、私が、子連れでいけるアトピーの料理教室に通い始めて、ノートを取るために、ペンを使っていたので、真似をしているのだろうこと。

などを、総合して、そのまま、その冷蔵庫の扉を、彼女の毎日のキャンバスにしようと、私は決断しました。

部屋中を好きなようにさせるのは、とても大変ですので、一箇所だけ「ここは良いよ」というスペースを作り、他に描きそうな雰囲気だったら、すぐに「ダメ」とも言わずに、「お絵かきはこっちだよ」と連れて行きました。しばらく一緒にいると、集中し始めます。

くれぐれも「こっちや、あっちは、絶対描いちゃダメ!」なんて言わないように!

子どもの言葉の文法理解のなかに、否定形(not)はありません。

「Don’t draw here.」は

「Do draw here.」ですので、お気をつけ下さい!

アトリエをしていても、そのことを実感します。

娘が赤ちゃんの頃は、まだアトリエに出逢っていなかったので、子どもの描く絵にこころが表れるなんて、思ってもいなくて、捨ててしまったのは、もったいなかったなぁと思います。

今、アトリエにきてくださっている会員さんのなかには、こんなふうに、自由にいつでもお絵かきできるスペースが確保されているご家庭も多いです。すると、日ごろ、自由にお絵描きしているので、お絵描き欲求はもちろんのこと、こころも満たされているのでしょう。

他のお宅ではもちろんのこと、アトリエでも、やたらめったら、あちこちに描くことはしません。また、描いてしまったとしても、「こっちに描こうね。」と伝えると、すぐに理解するようです。 

また、娘は、私の手帳に描きたがる時期がありました。それで、広告の裏白の紙で手作りノートを創り、私の手帳に描きたがったら、その「手作りノート」を渡しました。それでも手帳にこだわる場合は、絶対手帳には描かせませんでした。手帳にいろいろ描かれては、私が困るからです。だからそのことは妥協はしません。

<「ダメ」と言って、永遠に我慢させてはいけない>という言葉に、ある本で出逢ってから、その「行為」は<ダメ>だけど、気持ちは満たすような工夫をしました。

例えば、私もしばらくの間、娘と同じ「手作りノート」を娘の前で使うようにしました。たぶん「一緒」がよくて、「一緒」をやりたいだけだったと思うんです。

また他の例ですと、お座り出来始めた頃から1歳すぎくらいまで、なんでもかんでも棒で叩くようになります。なんでもかんでも叩かれると、実際困りますから、その「行為」は止めますが、その代わり、その「叩きたい」という成長する上での欲求を満たすような工夫をします。例えば、叩いても良いおもちゃを渡す。太鼓や、トンカチなどのおもちゃで、楽しく遊びながら欲求を満たしてあげます。欲求が満たされれば、こころも落ち着きます。欲求を認めてもらえたということは、自己肯定感へつながりますし、親への信頼感も深まると思います。

こうやって、試行錯誤を重ね、失敗を繰り返しながら、私も体験して、今も娘に学びながら、「自由」と「放任」の違いの理解が、少しずつ深まっているように思います。

しかし、子育てって、常に、小さいことも大きいことも、選択、決断を迫られますね! マニュアル世代の私には、正解がひとつじゃなくて「○」「×」でも答えが出ないものと、毎日過ごすのは、カルチャーショックの連続です。

そして、これだけ、価値観が多様な社会になって、自分が育った時と同じように子育て出来なくなっていること。ということは、自分が育ってきた時と違う選択をする場合が増えてきているのです。その選択をすることによって、未知なるものに出逢うわけですから、前例が無いだけに、不安になったり、心配になったり、迷ったり、、、。

それを、全部、母親ひとりに任せてしまうのは、負担が大きいです。

前例のない、その子とその両親との、世界にひとつしかない子育てを、一緒に考え、応援し、サポートしてくれるツールのひとつが、「色はこころの言葉」である「色彩」だと思います。

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またまた 充電中

夏の疲れが、出てきたのでしょうか~???

チリの救出のニュースには、しっかり目が覚めて、

私も感激しましたが、

今は もう 眠くてたまりません…。

今日は、早く寝ることにします。

みなさんも 良い夢を  

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買い物帰りに

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小春日和には、少し早いですが、こんなふうに気持ち良さそうに眠っていると、隣で日本茶でもいただきたくなりますね!

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鬱蒼と茂る林のように見えますね。

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因幡の素ウサギに出てくる、蒲(がま)の穂、発見  

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まだまだ 紅葉には 早かったなぁ~ 

 

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わらべうたに 出逢う

当時お世話になっていた助産院に集っていた、同じ育児中のママの紹介で、「わらべうた」に出逢いました。

これには、私が はまりました! 

「わらべうた」は、口承で伝えられます。

少し年上の子どもたちが、遊びながらうたっているのを、耳で聴いて、一緒に歌えるところだけでも歌ったり、真似て手振りをしてみたり。。。労働の時に歌っているのを聴いたり、おじいちゃん、おばあちゃんが歌っているのを聴いたり、眠りに就く時に子守唄を聴いたり。。。

「わらべうた」から発展して、その他昔ながらの土地の歌が、どんなふうに歌われていたのかなども、学びました。

悲しい時は、ただただ「悲しい~」と、うれしい時も、ただただ「うれしいぃ~」と、どちらも同じ節で歌うというのもあり、驚きました。(この後、演劇のワークショップに参加して、怒りも歓びも体感覚が同じであることを知り体感し、今なら納得いきます)

特別な舞台がある訳でなく、誰かに見せるためでもなく、そのために必死に練習するわけでもなく、それ以前に、生活のいたるところで、身近な人々と、あるいはたった独りで、「うた」はこころを表現するのに、当たり前のようにあった。。。

ずっと子どもの頃から、なぜか音楽にはこころ惹かれるのだけれど、どうしても核心部分にたどりつけない。上記のように「うた・音楽」を楽しんでいる子どもや大人も周りにいなかったし、音楽とは習って身に付けるものという考えもあったのかな? 方法論が先に立って 「楽譜を正確に歌うこと。演奏すること。」という考えにがんじがらめになっていた私には、音楽の始まり、芽生え、原点中の原点などと言うのかな? そういうものを初めて「うた・音楽」で、こころから触れるのに、「わらべうた」はシンプルで楽しく、ラッキーな出逢いだったと思います。今、思えば…です。

ところが、当時は 何事も必死で  こころをゆっくり動かして、味わう余裕があまりなかったです。

でも、その「わらべうた」の時間だけは、少しでも本来の「うた」に近づく こころの状態が生まれるようで、たぶん「この歌、好きだなぁ~」「かわいい歌だなぁ」と思えた歌が、今でも覚えているんだろうなぁと思います。

「わらべうた」がいいなぁと思えた、もうひとつの理由は、子どもたちの集中力です。

好奇心一杯の1,2歳の子どもたちですから、大人たちが、ひとつのことに集中させようとするのは、至難の技。次から次へと関心が移ります。だけど、それが本来の姿だと思います。

ところが、「始めるよ~」なんて言わなくても、先生が歌いだすと、その場で振り返り、先生に釘付け。15分くらい(もうちょっと短かったかな?)は、集中しているのです。

節のつけ方が、喋り言葉の延長で、2,3音の音の高低やリズムがついているから、喋りかけられているような、心地よさがあるのかもしれません。

赤ちゃんと、どうやって楽しんだらいいのか、全然わらかなかったのですが、自分の好きなことで、こんなふうな楽しみ方があったのですね。

音楽との出逢いが、一番身近で、大好きな人から、ナマの声で、歌ってくれ、楽しく遊びながら、大事に想っている・・・そのこころも そっと伝わってくるものだったら、本当に素敵だなぁと思います。

 

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こころの底から

赤ちゃんは、ニコニコして よく笑うもの。。。と思っていました。

ところが、うちの娘は あやしても 何しても まったく 笑いません。

大きな瞳で じーーーーっと 見つめているだけです。

ところが、

ある時、可笑しなことがあって、私は お腹を抱えて笑っていました。

ふと、娘を見ると、私を見ながら、ニコニコ  笑っているじゃありませんか?!

あ、この人は、

私が こころを しっかり動かさないと、

反応しない人なんだ…と思いました。

いくら 楽しそうに あやしても 話しかけても

ぜんぜん 笑わなかったり、目が輝かなかったことを思い出し、

もしかして、

私は こころの底から、楽しかったり、笑ったりすることが、

あまり無いのかなぁと 振り返り、

なんだか 恐ろしくなりました。

こころを 柔らかく、また再びしっかり動かせるようにするには、どうしたらいいんだろう?

「やらなきゃいけないこと」に追われて、それをこなす日々を何年も送ってきた私は、自分が 何が好きで、何がしたいのか、こころの底から…というのが、わからなくなっていたようです。

そんなときに、

わらべうた に 出逢ったのでした。

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私をみて~

赤ちゃんの頃の娘は、よく人から「あら、随分ハスキーな声の赤ちゃんねぇ~」なんて言われていました。

いくら のん気者の私でも、生後3ヶ月で、声帯にポリープがいくつも出来ちゃうほど、毎日毎日泣かれていては、ハスキーな声が、「この子の個性!」なんて思いませんでした。

だけど、どうしたらいいのか ちっとも わからないのです。

新生児の頃、オムツ替えて、おっぱい飲ませて、抱っこしたら、赤ちゃんというものは、泣き止むものだと思っていた私は、全然泣き止まない娘を、思わず、義母に差し出してしまいました 

すると、義母は「よしよし」と泣き止むまで、抱っこしながら、あやしているじゃありませんか!!

ああ、そういうものか…そうするのか!と 初めて知りました。

ところが、抱っこしても、あやしても、泣き止まないのです。。。

吉祥寺にある、こだわりのおもちゃやさんにある育児書を片っ端から読み漁りました。

だけど、

よく 泣く・・・。

「あ、抱っこさせて~」と 人に抱っこしてもらっても、5秒後には、むずかり始め、私の手に戻ってきました。

どうして 泣いているのか 全然わからないし、

お手上げ状態です。

1歳の誕生日を目前にして、なすすべもなく、相変わらず泣いている娘を抱いて、顔をジックリ眺めていました。

・・・

・・・

泣き声に重なって、「私を見て~!」って言っているようでした。

見てるよ、こんなに、勉強もしたし、アトピー性皮膚炎のことだって、いっぱいしているじゃん…。

「私をみて~」

言葉にするのは、とても難しいので、これまた誤解を恐れずに勇気を出して書きます。

一生懸命、娘のために、娘のことをやっている、やっていたと 思っていたのですが、全然違ったのですね。

むずかってばかりで、アトピー性皮膚炎で掻き毟って、湿疹が血だらけになっている娘を、なんとか 治そう、直そうと 思っていた。

でも、その奥の 私の本当の気持ちを書けば、そういう状態になっている娘は「×」で、「○」の状態にしなければいけないと、今のありのままの娘の存在を否定していたのですね。

そのことに、気づいた私は、表に表れてくるものの、「奥にあるもの」を感じようと、努力するようになりました。

ボキャブラリーの少ない赤ちゃんや子どもは、その少ないボキャブラリーのなかから、精いっぱい自分の気持ちを伝えて、表現しています。

それは なんだろうか?

子どものすることには、すべて意味がある。。。

そう思い始めた瞬間でした。

そして、

私のなかにある、小さな子ども、小さな赤ちゃんの叫びにも、重なることに気づいてしまいました。

子どもの表現には、無意識のうちに、親の精神状態も反映される…と言いますが、自分の体験からもそう思います。

毎日、仕事もこなしながら、終わりのない、山のような家事のなかで、子どもの本当の欲求を感じようとしながら、自分自身の欲求も何かを感じて生活している、今のお母さんたちは、本当に大変です。

せめて、1日数分でも、自分のためだけに、自分のこころを感じるような、自分らしさを取り戻すような、建設的な何かをする時間を持てたらいいなぁと思います。

すぐに思いつけないのなら、紙に、今ふと浮かんだ色をぬりつけることをお勧めします。これなら、すぐに、そして誰にも迷惑かけずに出来ます。

そして、堂々と そのために、子どもを見てくれるサポートがあるといいと思います。

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「和」を重んじるからこそ

昨日、茶の湯のことを書いたけれど、

今日も、そのことが こころに残っている。

日本人て、すごいなぁ。。。

「和」を 重んじるからこその

「孤(独)」なんだ。。。

エゴ中心の 表面的な 個人主義とは、全然違う。

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秋空に

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秋分をすぎて、日の入りが、どんどん富士山に近づいて見えます。

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ふと手にしたニュースレターに

井伊直弼の『茶湯一会集』のなかの、「独座」「独服」について

書かれているのを 読みました。

客を見送って、すぐさま片付けるのではなく、

主人は、自分のために茶を点て、

茶を独りでいただきながら、

今、逢った人々のことを思い続ける。

これが、茶湯のもてなしの 極意だそうです。

ちょうど、夕暮れ時にあたり、

名残惜しそうな 秋の夕焼け空を見上げながら、

今日という日を想う。

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じっと していると…

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子どもの頃は、虫といえば、

間近で ジックリ 見たくなくても

ゴキブリ、蚊、ハエ、アリ くらいしか、

見た事がありませんでした。

今は、いろんな虫を見かける環境にいられて、

毎日が 新鮮です。

最初は、大騒ぎしていましたが、

今は、だいぶ慣れてきて、

そっと 一緒に いられるように なりました。

絵本『わたしとあそんで』マリー・ホール・エッツぶん/え

を 思い出します。

追いかけると逃げていくのに、

じーーっとしていると、動物たちが寄ってくる。

じっとしていうる 女の子の周りで、

動物たちが思い思いに動いているのを、

これまた じっとしながら、

「わたしは いま とても うれしいの」という

女の子の笑顔が とても印象的で、

好きな絵本のひとつです。

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手乗り ゴーヤ

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今シーズン、最後の ゴーヤちゃんかな?

手のひらサイズの 小さなゴーヤです。

この まん丸具合。

子どもの頃 とてもかわいがっていた

コザクラボタンインコの大きさと

とても 似通っています。

ふわぁ~っと

その時の ぬくもりが

手のひらに 満ちてきます。

こころの 底から

体感して、体験したことは、

いつ 思い出しても

ありありと 五感を通して

想起させるものなのですね。

この感覚が、

本当の意味で

他者を思いやる 優しさに

つながっていくんだなぁと思うこの頃です。

充分、感じられるように

急かさず

ゆったりと・・・

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金木犀色の季節になりましたね

朝、窓を開けると

金木犀の香りがしますね。

湿り気を帯びた 森の香りに混じり、

ふんわりと

やさしく。。。

秋は、どんな色ですか?

私にとっての 秋色は「オレンジ」

金木犀の花、柿、ハロウィーン、運動会、、、

なぜか、小学校の音楽の時間に習った

「あ~きの ゆーうーひーに」という歌(もみじ)も思い出します。

また「オレンジ」は、

子どもの頃、家族で夕ご飯を食べたときの夕陽の色を想起させ、

私にとって、家族の色でもあります。

最近は、ハロウィーンのおかげで、

町全体が、オレンジ色になります。

ヴィヴィットなオレンジの割合が増えると、

私は ちょっと息苦しくなります。

でも、夕陽のように全体を 淡く包まれるオレンジだと、

物悲しい…けれど、ゆったり休ませ、また明日ね…と

遥か彼方から、見守ってくれているような

そんな感じもします。

色彩には、二つ目の面があって、

外側から、心身に影響を与える作用

 (赤は交感神経を刺激するなど) と

自分のこころにある色を表現すること

 (自由に絵を描く、ぬり絵をするなど、内から外へ) で、

心身が元気になっていく作用があります。

色彩は、その人の体験や記憶に、深く結びついているので、

より 後者の色の作用(自己表現)の方が、

セラピー効果が高くなる感じが、

アトリエをしていて

また 自分自身の体験からも

そう、思います。

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パッフェルベル「Kanon」

昨晩、Mちゃんと、娘と私の3人で、

パッフェルベルの「Kanon」を Violinで 合わせました 

溶けあう 3人の響き。

とっても 気持ち良かった~ 

Mちゃんは、その日の昼間の演奏会で ファーストを弾き、

「いつもは、追いかけるパートだったけれど、

 今回、先を弾く体験が新鮮だった」と言い、

娘は、セカンドの私のパートが「一番おいしい」と

言い出しました。

ファーストとも、サードとも、両方と合わせる楽しさがあると…。

それで、今度合わせる時は、違うパートを順番に回して 

弾いてみようということになりました 

どんな響きになるのかな?

次の 合わせが、またまた 楽しみです!

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