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止まったり 動いたり 自由に 動かせる こころ

赤ちゃんの時の「快/不快」の感情。

赤ちゃんは、日々いろんなことを感じています。その感じていることは、言語を獲得していない赤ちゃんにとっては、なんだかわからない、身体の中で起こっているエネルギーとしてただ感じられていることでしょう。大人だったら「モヤモヤ」とした感じとか…。

「おむつが濡れて 気持ち悪かったね~」

「お湯のなか、あったかくて、気持ち良いね~」…と

赤ちゃんの気持ちを想像して代弁することで、赤ちゃんのなかの「モヤモヤ」とした感覚が、言葉と結びつき、感情を表現するボキャブラリーが増え、気持ちを伝えられる人になると思うのです。

ところが、代弁する側の大人の私が、感情を表現するボキャブラリーが少ない…。

しかも、赤ちゃんと触れる時に、気持ちや感情よりも、モノの名前を「教える」ことばかりに集中して、気がつかないうちに、知識詰込型の早期教育(?)をしてしまいがち。

「あ、熊ちゃんだね。(モノの名前を教える。)・・・・(しばらく熊ちゃんを感じる時間)・・・・大きくて、強そうだね。(感覚や気持ち)」

「ネコちゃんだね。(モノの名前を教える。)・・・・(しばらくネコちゃんを触ってみたりして感じる時間)・・・・ふわふわだね。・・・・(ふたたび ネコちゃんを感じる時間)・・・・あったかいね(感覚や気持ち)」

と、今、自分が体験していることと、言葉を結びつけていく工夫は、いくらでもできるでしょう。

そんな私のところに、強い意志を持った娘が、生まれてきました。

新生児の時から、決して 妥協しない、迎合しない娘。

あやしても、あやしても、泣いてばかりで、全然 笑わない娘。

あ~あ、なんて無愛想な赤ちゃんなんだろう…と思っていました。

ところが、あるとき、楽しい事があって、私が、ガハハ!笑っている時に、ふと娘を見ると、娘は私を見つめながら一緒になって楽しそうに笑っているではありませんか!

あれ? この人は、笑う人だったんだ…と思いました。

ああ、私自身が こころの底から、こころを動かさないと、反応しない人なんだ…この人自身に届かないんだ…と、そのとき思ってしまったのです。

だから、表面的に あやそうとしても、笑うわけがありません。

ということは、娘が今まで笑わなかったのは、私のこころが、動いていなかったということでもある。。。そのことに気がついて、ショックでした…

これから娘と一緒に生活していくためには(子育てするには)、しつけ云々より、会社勤めでかなり錆び付いてしまった「感じる力」、「こころを動かす力」を、まず自分自身が取り戻すことが大事なんだ!思ってしまったのです。

いまも、忙しくなったり、しんどかったりすると、長年かけて身につけてしまった、パチッと「感じる力」「感情」「こころ」を切り捨ててしまうクセは、抜け切れません。

でも、そのクセは、悪いことばかりじゃないんだということに気づかせてくれたのは、アトリエの子どもたちです。

知的能力が伸びようとしているとき、感情の動きが邪魔になるので、一時的に「有彩色」を使わなくなり、「モノトーン」の世界になること。その時期を充分堪能すると、また豊かな色彩が表現され始めることを、講座でも学んだし、実際通ってきてくれるアトリエの子どもたちからも学び、体感しました。

また、いまの自分の状況では消化しきれないこと(災害や事件など)が起こると、一時的に、自分のこころを守るためには必要なこと。でも、そのままにしておかないで、あとでちゃんとケアできること。

そういったことを、学んだり、体験・体感したりするうちに、過剰な心配や、極端な放任に走らなくなりました。

また、そのとき、そのときのタイミングで、必要なことは何か、少しずつ「自分で」考えられるようになってきて、心配や不安はあるものの、根っこのところでは、「大丈夫」と子どもを信頼できるようになってきたのでした。

こころが 動かせない(止まる、切り捨てる) ことが悪くて、

こころを 動かせる ことが 良い ・・・・ ということを越えて、

止まったり、動いたり、自由に こころを 動かせることが 

大事なんだなぁと

つくづく 思う 今日 この頃です。

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子育て・自分育て」カテゴリの記事

コメント

人間の赤ちゃんだけでなく、「路傍の石」、にも感情があると思っていますが、どう思われますか?

投稿: YO | 2010年6月24日 (木) 15:23

◆ YOさん

こんばんは 

難しいテーマですね… 

でも、精いっぱい チャレンジして 考えたいと思います!

「感情」というものをどう捉えるかによって、

いろんな意見にわかれるのではないかと思います。


私は、「感情」はエネルギーだと思っています。


人の場合、

エネルギーに、その人が人生のなかで

培ってきた価値観や体験を乗せて、

「感情」になると思います。


「路傍の石」の場合、

エネルギーに、

やはり「路傍の石」の人生(石生?)のなかで

培ってきた、人間には理解できない 

意味づけがあるように 思います。

そして エネルギーに その意味が乗って

石の「感情」になるのではないかと思います。


なので、

人間の人生と 石の石生の 言語が違うので

なかなか理解しあえないですが、

エネルギーの部分で、「わたし」と「路傍の石」は

惹きあうのではないか…

なんて 想像しちゃいます 

YOさん、

いかがでしょうか~?

投稿: プレモワンモ | 2010年6月24日 (木) 23:21

素晴らしい洞察力ですね!「路傍の石」、は珪素系の生物なので、炭素系の生物(人間)から観たら、無表情に見えるでしょう。これは量子力学を超えた世界なので、哲学の世界になります。------- 何を隠そう実は私も、良く解かっていないのです。

投稿: YO | 2010年6月25日 (金) 11:12

こんにちは~♪初コメントです(o^v^o)
このブログを読んで、私の心が動いた~っっ!!…私がこんなに長く立ち止まっていたのは、何を抑圧していたのだろう?私の心は本当は何をしたいのだろう…とわからなくなっていたのね! 私の心は止まっていたけどその状態を受けいれながら、本当に心が動いた時、必ず行動する時がくる~o(^ヮ^)oて根っこのところで、私は絶対に大丈夫♪と勇気を再度もらえたブログの記事でした☆
ありがとう♪♪ venusntより

投稿: venusnt | 2010年6月25日 (金) 12:57

◆ YOさん

こんにちは!

YOさんの 投げかけのお陰で

人間特有の「イメージ力」、フル回転! 

わからないことにも わからないなりに

こころを寄せていく きっかけをいただきました。

ありがとうございます。

珪素系の生物と。。。お話できたらいいなぁ~ 

投稿: プレモワンモ | 2010年6月25日 (金) 19:46

◆venusnt ちゃん

お久しぶりです 

コメントありがとう~

愛しているよ~

投稿: プレモワンモ | 2010年6月25日 (金) 19:48

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