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2010年6月

感動に出逢えた本「ひとりで生きる」

昨日、

ドキドキする本に出逢った

「私はいま九十代のスタートなんです。

 あと何年でお迎えがくるのか知りませんが、

 初めてのことなんです。

 『九十代』は初体験です。」

『九十代』初体験?!

その みずみずしい感性と 発想に、

のっけの言葉から、衝撃を受けた!

自然の命を描き続けている日本画家の

堀文子さんが書かれた本。

『ひとりで生きる』求龍堂

「自由は、命懸けのこと」

カバーの見返しに書かれた言葉にも惹かれました。

「絵」についての言葉も、うなづけるものが たくさん。

病により、死に直面したときのこと、

人生の最後の旅をしている今のこと、

自然への眼差しも こころ打つものがあり

ページをめくるたびに

全身の細胞が震えるようです。

「自分の無能を恥じ、

 己との一騎打ちに終始し、

 知識を退け、

 経験に頼らず、

 心を空にして

 日々の感動を

 全身で受けたいと心掛けた。」

「息の絶えるまで感動していたい」という言葉は、

軟弱な私に いっぱいの 励ましを くれるもの。

もっと、伝えたいのに

あまりに感動すると、

言葉を失ってしまう自分が ちょっと情けない… 

少しずつ、味わって、

言葉になってくるのを 待ちたいと思います。

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交流会準備に入ります

これから1ヶ月間は、1年のうちで、一番忙しい時期です。

このご時世のなか、本当にありがたいことです。

こころを込めて、頑張りますので、

交流会、楽しみにしていてください。

また、夏の研修会へ向けて 

1年間の活動をまとめたレポート提出もあります。

みなさまに 支えられて活動しているアトリエです。

今後のアトリエ活動にいかせるように、

そして 少しでも 子育てに役立てるようなお手伝いができるよう

また しっかり勉強してきますね。

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元気良く

蒸し暑く、めげそうな気分です。

本格的な夏を迎える前に、夏バテしそうです

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少し遅れて芽が出てきた、カラーくん。

やっとボクの出番だ!とばかり。

イチゴや矢車草に、先を越されても、

マイペースな君は、

自分が一番輝くときを知っている。

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お休みします

今日と明日は、時間がとれないので、

ブログ更新は、お休みします。

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大人から 子どもへ 流れるもの

昨日の記事を読んで、

生まれたばかりの赤ちゃん相手に、

「妥協」   とか、

「迎合」   とか、

「笑顔」   とか、

そんなことを、十数年前の私は求めていたのか!と 

愕然としてしまいました 

それでは、愛の逆流です。

本来、大人から 子どもへ、愛は流れるもの

大人は、

愛いっぱい、愛そのもので生まれてきた子どもから

愛を 搾取する(求める)のではなく、

愛を与えること。

大人は、

愛を与えられるように、自分自身を自分で満たしていくこと。

子どもは、たくさんの愛でもって、

良い親、悪い親など

どんなあなたであろうが、

無条件にあなたの愛を受け取ろうと

毎日生きてます。

愛の逆流について知ったのは、

アダルトチルドレンを勉強していた時でした。

充分自分を満たしたものは、

 自ら 他者を満たすものへとなっていく」と

教えてくれたのは、

以前住んでいた街の近所にあった 

劇団の団長さんでした。

失敗なんてない。

材料・分量・温度・時間が、そうであったから、
その条件のもとにパンが出来上がったのであって、
それを
他と比較するから「失敗」なんて発想になるんだ。」

国内産小麦、天然酵母、などを使用して、
天然酵母パンを開拓していった、
以前住んでいた街の近所のパン屋のおじさんが
教えてくれました。

この言葉は、そのまま子育てにもつながりました。

まだ認知もされていない天然酵母パン(子どもたちと例えましょう)。

それを、おじさんは試行錯誤しながら、
材料・分量・温度・時間など(
子どもの育つ環境)を
その時々替えながら(
整えながら)、
手でつぶしても、またふっくらと元に戻ってくるような、
おいしい天然酵母のパン(
子ども)を
作るまで(
育ち上げるまで)になったのだと思います。

認知されていない(将来を保証されていない。将来どんな人生を歩むか、まだまだ未確定。可能性一杯!)から、
どんなパン(
大人)になるのか、
世の中に受け入れられるか、不安で一杯だったとも思います。

でも、おじさんは、天然酵母パン(子ども)を信じて、
作り続けて(
育て続けて)、今が在るのだと思います。

おじさんは いまは、あちらの世界にいらっしゃいます。

子育てのなかで、同じ志を持った仲間に逢えたり、
それでも たまには 誰にも相談できない事態に陥って
ひとりで 悩んでいたり、

全然関係のない場所で、
子育てしている私自身の心持ちに役に立つような話をしてくれる、
一見子育てとは無縁の方々に出逢い、支えられ、
いま、こうやって アトリエ活動ができるまで

つながっているのだと思います。

本当にありがたいことです!

完璧な人間はいないから、
私も子どもの頃は、愛の逆流があったと思います。

今の私も、子どもに対して、搾取していることもあると思います。

でも、やり直せないことなんて、ないのだと思います。

表面的には、やり直せないことでも、

違う視点から、違う場面で、

もっと 深いところで

やり直すことが できるのではないか…

まだまだ 未熟者で 

生きている(死ぬまで成長している)途中の私には、

到底 結論の出せないことですが、

何回も”ぽっとめ”をたいから 

今日も 試行錯誤です 

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止まったり 動いたり 自由に 動かせる こころ

赤ちゃんの時の「快/不快」の感情。

赤ちゃんは、日々いろんなことを感じています。その感じていることは、言語を獲得していない赤ちゃんにとっては、なんだかわからない、身体の中で起こっているエネルギーとしてただ感じられていることでしょう。大人だったら「モヤモヤ」とした感じとか…。

「おむつが濡れて 気持ち悪かったね~」

「お湯のなか、あったかくて、気持ち良いね~」…と

赤ちゃんの気持ちを想像して代弁することで、赤ちゃんのなかの「モヤモヤ」とした感覚が、言葉と結びつき、感情を表現するボキャブラリーが増え、気持ちを伝えられる人になると思うのです。

ところが、代弁する側の大人の私が、感情を表現するボキャブラリーが少ない…。

しかも、赤ちゃんと触れる時に、気持ちや感情よりも、モノの名前を「教える」ことばかりに集中して、気がつかないうちに、知識詰込型の早期教育(?)をしてしまいがち。

「あ、熊ちゃんだね。(モノの名前を教える。)・・・・(しばらく熊ちゃんを感じる時間)・・・・大きくて、強そうだね。(感覚や気持ち)」

「ネコちゃんだね。(モノの名前を教える。)・・・・(しばらくネコちゃんを触ってみたりして感じる時間)・・・・ふわふわだね。・・・・(ふたたび ネコちゃんを感じる時間)・・・・あったかいね(感覚や気持ち)」

と、今、自分が体験していることと、言葉を結びつけていく工夫は、いくらでもできるでしょう。

そんな私のところに、強い意志を持った娘が、生まれてきました。

新生児の時から、決して 妥協しない、迎合しない娘。

あやしても、あやしても、泣いてばかりで、全然 笑わない娘。

あ~あ、なんて無愛想な赤ちゃんなんだろう…と思っていました。

ところが、あるとき、楽しい事があって、私が、ガハハ!笑っている時に、ふと娘を見ると、娘は私を見つめながら一緒になって楽しそうに笑っているではありませんか!

あれ? この人は、笑う人だったんだ…と思いました。

ああ、私自身が こころの底から、こころを動かさないと、反応しない人なんだ…この人自身に届かないんだ…と、そのとき思ってしまったのです。

だから、表面的に あやそうとしても、笑うわけがありません。

ということは、娘が今まで笑わなかったのは、私のこころが、動いていなかったということでもある。。。そのことに気がついて、ショックでした…

これから娘と一緒に生活していくためには(子育てするには)、しつけ云々より、会社勤めでかなり錆び付いてしまった「感じる力」、「こころを動かす力」を、まず自分自身が取り戻すことが大事なんだ!思ってしまったのです。

いまも、忙しくなったり、しんどかったりすると、長年かけて身につけてしまった、パチッと「感じる力」「感情」「こころ」を切り捨ててしまうクセは、抜け切れません。

でも、そのクセは、悪いことばかりじゃないんだということに気づかせてくれたのは、アトリエの子どもたちです。

知的能力が伸びようとしているとき、感情の動きが邪魔になるので、一時的に「有彩色」を使わなくなり、「モノトーン」の世界になること。その時期を充分堪能すると、また豊かな色彩が表現され始めることを、講座でも学んだし、実際通ってきてくれるアトリエの子どもたちからも学び、体感しました。

また、いまの自分の状況では消化しきれないこと(災害や事件など)が起こると、一時的に、自分のこころを守るためには必要なこと。でも、そのままにしておかないで、あとでちゃんとケアできること。

そういったことを、学んだり、体験・体感したりするうちに、過剰な心配や、極端な放任に走らなくなりました。

また、そのとき、そのときのタイミングで、必要なことは何か、少しずつ「自分で」考えられるようになってきて、心配や不安はあるものの、根っこのところでは、「大丈夫」と子どもを信頼できるようになってきたのでした。

こころが 動かせない(止まる、切り捨てる) ことが悪くて、

こころを 動かせる ことが 良い ・・・・ ということを越えて、

止まったり、動いたり、自由に こころを 動かせることが 

大事なんだなぁと

つくづく 思う 今日 この頃です。

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ゴリゴリは、もう こりごり

今日は、写真に撮れなかったけれど、

久しぶりの 赤い夕焼け空。

きれいだったなぁ~ 

その、「くれない」色から、ふと思い出したことがありました。

あれは、会社勤めをしていた時のこと。 

毎日毎日が仕事が忙しくて寝不足で、その仕事をいつも誰かが待っているので、急がなくてはいけない状況。

職場の誰もがそんな感じなので、誰もがストレスを抱え、嫌味を言ったり、文句を言いながらの仕事。

嫌味や文句を言っている暇があったら、ひとつでも仕事をこなさくては!と思っていた私は、あまりそこに引っかからないようにしてたけど、それでも 何回かに1回は、ムラムラ 怒りが湧き起こってくる…。

そのとき、私は「必殺仕事人」でしたから、自分の感情よりも、仕事を優先したいがために、自分の怒りを 大きなハサミで 自分自身から 切り取りました。(そんな表現がピッタリくるような感じです)

したことはありませんが、へその緒を切るような感覚に似ているかな…(想像です)。

へその緒ってなかなか切れないんですってね。

繊維がいっぱいあるようで、ゴリゴリして ゴムのような感触で、硬いのだそうです。

結構、その頃は、自分の感情を、切れ味の良い(それでもなかなか切れない、へその緒)、ものすごい大きなハサミで、ゴリゴリやっていたなぁと 思い出しました。

まだ、血が通っているのに(感じている最中) 無理やり切りますし、スパッと切れずに、ゴリゴリやりますから、傷口もたくさん裂傷があって、自分自身もかなり傷つきます。

切らずに、そのまま へその緒みたいなチューブを通して、外へ流せば良いだけだったのですね。今ならわかります。

ですが、その頃は、せっかちで、すぐにでも感情を切りたかった。感情がチューブ(へその緒)を流れているのに途中で切ってしまうので、内出血を起こしてしまうような感じです。

あの頃の私は、今とは まったく違って、ピリピリして、性格のきつい人で、人を見下して優位に立っていないと、やっていられないような そんな状態でしたね。

でも、そういう感情処理をしていたのなら、そんな自分に ならざるを得なかったことでしょう。ずいぶんと 無茶で 過激なことをしていたものです。自分を大事にしていなかったのだから、他者のことも大事にするわけがなかったですね。。。

「色彩」の力を知っていたのなら、自分を傷つけることなく、ハサミの代わりにクレヨンを握り締め、適切に感情を感じきって、気持ちの切り替えをしていたことでしょう。。。

自分を大事にしながら、しかも周りの人も傷つけない、安全で安心な方法。

でも、そのゴリゴリ・ハサミの体験があったからこそ、「色彩」の素晴らしさを より感じることができるのかもしれないなぁ…と思います。

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ラズベリー

引越のお祝いに…といただいた ラズベリー。

今年は 実をつけました。

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すっぱーーーい~  

けど、ポロッと 落ちるくらいに熟した実は

ほのかに甘かったです。

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両方とも ラベンダーで、

こんなところに植えたかな?と思うようなところに

元気に 花を咲かせていました!

久しぶりに 庭で のんびりした 小さな時間。

夕陽とともに

穏やかな風に ゆだねた 心地良い時間。

ホッとする ひとときを

今日も ありがとう。。

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無事 合格しました!

今日も 蒸し暑い日でした。。。

娘の 剣道の昇段審査のお供してきました。

中学の部活で始めた剣道。

初段へのチャレンジです。

同じ 初段への チャレンジ仲間が、

今回は、男女合わせて、ちょうど700人。

審査をする先生方と、応援しに来られた方たちで、

会場は、ものすごい熱気であふれていました!

緊張した面持ちながら、日ごろ稽古しているとおりに、集中力を発揮して、積極的に 基本どおりに打ち込んで、無事合格しました! ホッとしました。

帰りの車のなか、娘は上機嫌で歌をずっとうたっていたようですが、私は後部座席でぐっすり… 

私の方が審査を受けてきたかのようです 

試合を応援しに行く時もそうなのですが、やったことのあるものだと、試合を観ながら、自分も一緒になって試合をしているようなのですね…。身体がふっと動いたりします… 

20年以上剣道をしていないのですが、竹刀を持つと、すぐ感覚がよみがえってきますが、その頃と 同じではないのです。

また違った感覚で、あのときは、わからなかったいろいろなことが、感覚的に伝わってくるものがあります。とても不思議な気持ちになります。

娘の剣道の先生方は、とても「基本」を大事にされます。なので、娘の学校の子どもたちは、どこで試合していても、形がきれいなので、すぐにわかります。

心身ともに 洗われるような、そんな美しい剣道を教えてくださる先生方に、部活で出逢えるなんて、娘は本当に幸せだなぁと思います。先生方に感謝 

そして、娘の「やりたい」というエネルギーで、山あり谷あり、いろいろなことがありながら、積み重ねてきたことが、結果として「剣道初段」という形として残るのも、励みになりますね。

ホントに、おめでとう 

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どんな 小さなことでも できることがある

誰しも 無能感に浸ってしまう時があると思います。

2年くらい前かな?

どんよりとした気持ちで、朝 目が覚めた時、

ハーブティーを飲もうと、ティーバックを選ぶ。

ふと 目にした 文字

Hildegard

何語だか 知りません。

だけど、すぐに覚えてしまい、気になって仕方ありません。

さっそく調べてみました。

Hildegard 「ヒルデガルド」というのは、人の名前でした。

11~12世紀に生きた ドイツの女性です。

神学、哲学、医学、文学、音楽とさまざまな分野で独創的な思考を残し、幅広く活発に活動をしていたそうです。

ハーブティーは、その活動のひとつ、医学の分野で残されていた文献を元に配合されたもので、現在にも伝わるものだったのですね…。

あまりにも膨大な活動をなさった方なので、すべてを知ることは出来ないですし、その活動を 未熟な私が あれこれ言えるはずもありません。

ですが、無宗教である私であり馴染みも無く よく知らないはずなのに なぜだかわからないけれど、多方面に活躍するヒルデガルドさんのことを想うと、なんだか元気が湧いてきます。

どんなふうに想うのかというと、「何も出来ない」と無能感に浸っていた私のDNAの記憶(といったらいいのでしょうか?)のなかにも、彼女の功績はちゃんと記憶されているかもしれないと想ってしまうのです。

そうすると、気負いが外れて、無理に頑張ろうと、背伸びしようと思わなくなります

今の 等身大の私が できることを 少しずつしていこうと思えるようになってくるのです。

分をわきまえるとは こういうことを 言うのでしょうか?

呼吸ひとつでも、

なにかしら できることがある。

今朝、目が覚めた時に浮かんできた ヒルデガルドさん。

こうやって 書いてくると、

ここ何日間かの、自分の問いの、応えだったのかもしれませんね。

いま 気がつきました。

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イライラさせられることは…

「他人の いらいらさせる性質の ひとつひとつが

自分自身についての 理解へと導いてくれる」

カール・ユング

ある ちょっとした出来事。

その一瞬のことが、

過去の 淋しかった自分自身と 重なった。

誰と比較するわけでもなく

評価を得ようとしたわけでもなく

認められたいと思ったわけでもなく

ただ、純粋に うれしかった その出来事。

めったにそんなことは無いのだが、

そのときは、分かち合いたかった。

たまには、こんな すごいところも 自分自身には あるんだなぁと

それを 確認し合いたかった。。。

大好きな人と 分かち合いたいだけだったのだ。

でも 私が天狗になることを恐れたのだろう。

結果は、ご想像のとおり。

娘の幼稚園の副園長先生が、入園説明会の時に「自己肯定感が育ちます!」と話していたことに、ピンときて、その幼稚園に入園を決めてしまった。

「自己肯定感」を育てるには、次から次へと課題を与えないことだった。

充分 成功したこと、達成したことを 味わうことを大事にしていた。

そして 味わいきると、また次のことへと自らチャレンジし始めるのだ。

この考え方は、アトリエの考え方にも、通じている。

子どものやっていることには すべて理由がある。

だから、アトリエで どんなに長い期間、同じ創作が続いても、それを止めようとしないし、充分堪能できるようサポートする。

子どもは、大人が思う以上に、自分の実力を知っている。

なぜなら、自分の手で、実際にモノを創っているから。

出来上がったものは、否が応でも、客観的に自分自身が知ることになる。

ちょっと不恰好なことも知っている。

ちょっと上手くできていないことも知っている。

それを 見ないようにして、天狗になるのではなく、

それも知っていながら、

「出来ている部分」を充分味わっているのだ。

だから、

最初に

子どもが「出来ている」と思っている「部分」を 

一緒に見てほしい。

味わってほしい。

無理して ほめなくていいから。

「共感」されると、

その人自身の 核に 大きなエネルギーが流れ込み、

自ら 次の ステップへ

進もうとする。

その「共感された」体験は、

一生の宝になると思う。

何度でも 思い出し、

また 自分のエネルギーとすることができる。

たぶん、今の私の視点が、

出来ることより、

出来ないことの方へ

偏っているのだろう…。

いらいらさせてくれた おかげで、

また再び大切な原点に戻る事ができました。

ありがとう

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久しぶりの 美術館展

国立新美術館で開催されている

オルセー美術館展」へ 友人と二人で行ってきました。

入口すぐから、巨匠の絵が続々と並んでいます。

時系列に並べられた作品を鑑賞しながら、

ポスト印象派以降の画家たちが、

なにを 探求していったのか

とてもわかりやすく展示してありました。

時代を経るごとに、

原初の

絵を描くことの

一番シンプルなところへ

向かっていったのかな…?などと、

アトリエの子どもたちの絵を思い出したり、

妄想も含め(苦笑)、 いろいろ想像を廻らせながら、

楽しく拝見させていただきました。

一番こころ惹かれた絵は

ゴッホの絵です。

『星降る夜』

『アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ』

『銅の花器のフリティラリア(オウカンユリ)』

など。

たくさんの人の波にもまれながらの鑑賞でしたが、

それも 苦にならないくらいの、

こころに迫る 巨匠たちの絵。

久しぶりの 美術館展でしたが、

行って良かった~ 

帰りは、東京ミッドタウンにて、遅めの昼食をいただき

軽井沢に本店が在る 浅野屋(パン屋)を見つけ、

18年くらい前は 会社の厚生施設があったり

関越自動車道にアクセスが簡単な事もあり、

けっこう 頻繁に出かけていました。

懐かしさに一杯になって、

パンも買って帰りました。 

心地よい 疲労感に 浸っているところです

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チャレンジャーな ツバメくんたち

先週から、

朝、玄関をあけると、

足元に

藁っぽい 細い繊維状のものや

ドット模様に、土だか、糞だかが 落ちている…。

ふと 上を見上げると

玄関のひさしの内側に、

ツバメくんたちの 巣作りチャレンジの跡が…。

そういえば 昨年もチャレンジしてたよね。。。

そんなに 居心地 良さそうかな???

いや、困るんだけれどな…。

なかなか 諦めてくれないなぁ…。

どうしようか…

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カエル

今朝、

雨戸を開けたら、

”なんちゃって ビオトープ”の池に

なにか 大きなものが 動く気配が…  

あれは、メダカじゃない…

うっ・・・

カエルだ!! 

デカイ・・・

茶色の やつ…

どーしよー!!!!

池の底のほうへ、潜って

そのまま・・・

ここは住宅地の真ん中なのですが。。。

近くの緑地から やってきたのでしょうか?

元いたところに、無事カエッテ(カエル)ほしいです 

・・・

今日の 大事件でした 

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矢車草(矢車菊) in 2010

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矢車草(矢車菊)が 咲き始めました!

私より先に、 アリンコくんが お花を堪能していました 

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日差しは強いけれど、カラリとした 良いお天気です 

今日も 良い日でありますように 

 

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バランス

自分を意識せずに

自分らしくいられる

私にとっての 

バランスが良い状態。。。かな???

どうだろう…

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自由になった 両手で

こころが 求めるままに

活動してきたこと。

それを

振り返り

整理する作業を

ここのところ しているのだと思います。

今日

ふと

自分の立ち位置が 見えました。

そして

再び 原点に戻ることで

自分を確認する。

しっかり立てば、

何かに しがみつく必要は無くなるから

両手は 

自由になる。

その 自由になった両手で

また、

まっさらな こころで

あなた と

わたし と

あらたな 絵を

描いていこう。

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カメの歩みのように

色彩学校 中級クラスのアシスタントの日でした。

今日も、

充実した 中身の濃い、

豊かな時間でした。

いろいろ 整理するのに

また

時間がかかりそうです。

「時間のかかる自分」・・・

そうなんです。

時間が かかるんですよ、何事も…。

でも、そういう 自分のテンポを

認めてあげたいと思う この頃です。

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2010年6,7月 アトリエの予定

◆キンダークラス(対象:3歳~12歳) 定員@1クラス:4名
金曜日クラス(16:00~17:30)
 6月11日(金)自由表現の日 6月25日(金)創作画材の日
 7月 9日(金)自由表現の日 7月23日(金)お楽しみ画材の日

第2,4土曜日クラス  ただいま満員です。
(amクラス10:30~12:00&pmクラス14:00~15:30)
 6月12日(土)自由表現の日 6月26日(土)創作画材の日
 7月10日(土)自由表現の日 7月24日(土)お楽しみ画材の日

第1,3土曜日クラス  
(AMクラス10:30~12:00&PMクラス14:00~15:30)
 6月 5日(土)自由表現の日 6月19日(土)創作画材の日
 7月 3日(土)自由表現の日 7月17日(土)お楽しみ画材の日

◆プチ・クラス(対象:2歳~4歳)定員@1クラス:3名 
  第2,4金曜日クラス (11:00~12:00)
 6月11日(金)自由表現の日 6月25日(金)創作画材の日
 7月 9日(金)自由表現の日 7月23日(金)お楽しみ画材の日
    ※振替はご相談ください。

◆ジュニアクラス(対象:小学校高学年~高校生)・大人クラス
  お問い合わせください。

◆交流会のお知らせ

  2010年1月~6月までの 子どもたちの作品をもとに、色彩心理の視点から、子どもたちの半年間の成長を振り返る、交流会を行います。

  7月 6日(火)10:00-12:00
  7月15日(木)10:00-12:00
  7月20日(火)10:00-12:00

  どれか1日にご参加ください。
  ご希望の日にちをお知らせくださいませ。
  ご都合の悪い方は、ご相談くださいませ。

◆ 8月は お休みです。

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自分と出逢う作業

アトリエで、表現している子どもたちを、

            もっとわかるようになりたい。

子どもを「ひとりの表現者」としてとらえ、私自身も「表現者」としての立場にたち、色彩とは別の角度からも、「表現することって、どういうことだろう?」と勉強をしていたことがあります。

歌、歌語り、ミニ演劇、日本音階による歌作りなどを経て、最後は「人前で話すなんてとんでもない! 歌えない、踊れない」と自称する方々と一緒に、創作ミュージカルをしました。

表現が、生まれてくる瞬間。

その人の 内的衝動が

ぽっ

と 生まれてくる瞬間。

何回、その瞬間に立ち会ったことでしょう。

その人自身が表れてくるまで、

あるいは、私自身が表れてくるまで

何回も試行錯誤を重ね、

体感し、

くり返し、

その瞬間が訪れる…。

そのプロセスを体験したことは、アトリエの活動をするうえで役立っています。

   作品(形)になるには、時間がかかることもある

そして、一見何もしていないかのように見える、その時間こそ、画材や試行錯誤を通して、自分自身と出逢っている、大事な大事な作業なのだと 信じて待てるようになりました。

どのくらい時間がかかるかも、個人差があって、それも本人に任せるのが一番良いということ。絶妙なタイミングで、表れてくることを信じて待てるようになりました。

とはいえ、自分の娘や、自分自身には、信じられなかったり、待てなかったりすることもあります 

そういう「待てない私」も、自分の娘や自分自身という「画材」にあたるようなものを通して、自分自身と出逢っている、自分自身を感じている、という「自分という存在」の根っこ育ての大事な作業をしているのだと、「もうひとりの私」は観てあげたい…と思うこの頃です。

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爆発だ!

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人間のなかの「破壊衝動」って大事だと思う。

全部、打ち砕きたくなる。

根こそぎ、壊したくなる。

そのエネルギーは とてつもなく 大きなモノのように感じる。

凝り固まりそうになる 自分自身を

もう 要らなくなった 自分の価値観を

自分自身の尊厳をないがしろにして 

       流されそうになっている 自分を

                        壊す。

ある視点から見れば「死」を意味することかも。

そのまま、無自覚にいたら、

もしかしたら、人やモノを傷つけてしまうかもしれない。

あるいは、妙に、物分りの良い人になって

ポジティブ思考で切り替えて…なんてことして、

その衝動を抑え込み、

自分自身を傷つけてしまうかもしれない。

安全な方法で、「破壊衝動」を表現しよう。

その安全な方法のひとつに、

「色彩表現」は

とても 役に立つ。

細胞だって、「死」と「再生」を繰り返しているんだもの。

恐れることなく、

安全な方法で「破壊・死」を表現しよう。

まずは、

爆発だ!

また、

新しい<わたし>が

生まれる。

再創造する。

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「あなたはだあれ」

出逢いを重ねて 最近 手元に届いた小冊子。

『「あなたはだあれ」の問いかけから始まるシュタイナー教育』
仲 正雄 講演録⑦ ライアー・ゼーレ(株)発行

内容が深すぎる。。。

1回くらい、読んだだけでは、感覚的につかめないことがたくさんあって、じっくり何回でも読みたいなぁと思った。

とても 短い言葉で紹介することができないけれど、子育て・自分育てで、「自己肯定感」を一番大事にしてきている私にとって、とても参考になった!

娘が生まれた頃の私は、未熟ながらに、「どんなことがあっても、何があっても、一歩手前で、一線を超えることなく、ギリギリのところで、踏みとどまって、こちらの世界に戻ってこれる、再び 立ち上がってこれる…そういう真(芯)の、「自己肯定感」を育てたい…。」って思っていのだ。

そのためには、どうしたらいいのか?

その「問い」を持つことで、さまざまなこと、人に出逢い、その時々で、また小さな「問い」が生まれる。

「自己肯定感」のうち、肯定する「自己」って、どうやって育まれていくんだろう?

すると、「自分」という根っこ作りにつながって、アトリエ活動へと流れてきているのだ。

○○心理学、○○教育というものを、そのまま押し付けようとする私に、断固として「NO!!]と言い続けてきてくれた 娘や、アトリエの子どもたちに学びながら、これからも、ひとりひとりを丁寧に大事にして、活動していきたいなぁと思った 1冊でした。

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