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思いだすもの

ちゃたさんから、昨日の記事にコメントをいただきました。

ありがとうございます 

コメントを読んでいるうちに、いろんなことを思い出し、またいろいろ考えました。

その人が一生、生きていけるだけの充分な愛情は、持って生まれてきた。」と聞いたことがあります。

「欲しい。欲しい。」と思って、生きていくことは、とっても辛いですね。さんざん経験した私はよくわかります。

でも、すでに充分持っているという前提の元に考え直してみたら…?

生まれたばかりの自分のこと、忘れちゃっているけれど、どの赤ちゃんも、ただそこに存在するだけで、周りの人を幸せにするような輝きを持っています。生まれたばかりの自分て、無条件に世界を愛し、人を愛している…そんな人の代表じゃないでしょうか?

でも、生まれてからの3ヶ月で、すでにそのことを忘れちゃう赤ちゃんがいるそうです。心からのスキンシップや、共感の伴った声かけやケアが無かった場合ですね。

自分はこのままではダメなんじゃないか…と。それで、なんとかして関心を持ってもらおうと頑張っちゃう赤ちゃんもいれば、「どうせダメだよ」と諦めちゃう赤ちゃんもいます。持って生まれた性格というのかしら?

でも、早いうちに、周りの大人たち(環境)が気づいて、再び、心がこもり、共感の伴ったスキンシップや声かけ、ケアがなされると、また輝きを取り戻してきます。無条件の愛が、輝きだすのです。

すでに、充分な愛を持っているのだとしたら…?

そもそも、満たすとか、満たされるとか、そういう問題じゃないのかも。

欲しいとか、与えるとか、そういう問題じゃないのかも。

心がこもり、共感の伴ったスキンシップや声かけ、ケアは、

もしかしたら「思いだす」ためのものかも。

心がこもり、共感の伴った、その行動は、

無条件の愛の行動そのもの

そういうふれあいを、赤ちゃんの頃から、触れ続ける事によって、大人になってからも、自分の中に、充分な愛があることの確信が生まれ、与えあう、分かち合う人になる。

充分な愛があることの確信=自分が<自分>であること

勇気や力は、自分であることの一部の属性。

すでに持っている、その力を、思いださせてくれるのは、周りの支えてくれる人々、自然。

そう考えてくると、私は、なんだか元気になる。

生きるエネルギーが湧いてくる。

ここで思い出したことがあります。
マイケル・ジャクソンのオックスフォード大学での講演の記事を読んだときのことです。

そのなかで、子どもたちに向けて「もう一度愛する方法を大人たちに教えて上げてください。」という一文がありました。大人の自分からこれを読むと「おいおい、私は愛する方法を忘れちゃったのかい?」と情けない気持ちになります。が、マイケルの記事を読みながら、「傷ついた2歳の頃の自分」になってしまっていた私は、「絶対、そんなことできない!」と反発して、「ふん!」とか言いながら、そっぽを向きました 

でも、読み進んでいるうちに、マイケルも話しているのですが、私が恐れているのは、人間的な感情であり、その奥にある無条件の愛を知っているのだと思います。だから、私は、弟の法事の時(2月11日の記事)、どんな感情を持っていても、「愛せる自分」を感じたのだと思います。

そして、「創造」するとは「思い出すこと」と同じ脳の使われ方をするという話。「思いだす」ということが、無条件の愛につながっているのだとしたら、「創造」することも、何を創造するのかと言えば、突き詰めた奥にあるものは「無条件の愛」なのか?

いやいや、突き詰めなくても「無条件」なのだから、何を「創造」してもいい。どんな表現をしてもいい。どんな色を使ってもいい。そうやって、安全で安心して表現できる場で、自分の中にある「無条件の愛」を「思いだす=創造」する。

そうやって、<自分らしさ>を取り戻し、元気になっていく…。

スキンシップって、するほうも受けるほうも「自分らしさ」を「思いだす」ためのもの。

「自分らしさ」をお互い確認するためのもの。

だとしたら、やっぱり、ずっと ずっと 大事 だね 

    と、思考は、ぐるぐる するので ありました・・・

お付き合い、ありがとうございます

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