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私を育てる わたし 20100320版

先日、色彩学校の基礎コースの最終日の聴講で、私を育てる わたし」というタイトルで 絵を描きました。

2月のチャイルドアートカウンセラーコース最終日に描いた、「チャイルドアートカウンセラーとしてのわたし」(2010.2.7の記事)とは、まったく違う絵になりました。

全体を俯瞰したり、今後の自分という絵というより、今、取り組んでいる「私を育てる わたし」の部分的な側面を表現したような感じです。

今まで自分が生きてきた すべてのことが、意味を成さなくなり、全面否定、価値観がボロボロ崩れていく…。どれも、何の指標にもならない。そんな衝撃的な事件が起こり、放心状態。ブラックホールに引きずり込まれそうな自分をなんとかしたいのに、何をどうしたらいいのかさえ、思いつかない。セラピストにも見放され、自分でどうにかしなければ、いけない。

究極の問いのあとに得た、弟との「約束」。

そのときは、あまりにショックだったので、ネガティブな面しか見えなかったのですが、今から思えば、誰かが敷いたレールの上ではなく、誰かの人生を生きるのでもなく、本当の意味での自立、リセットした、白いキャンバスの上に、やっと自分自身で、自分の責任で、自分の人生の絵を描こうという位置に立てたという、ポジティブな側面もありました。最近、そのポジティブな面をとても強く感じます。

どうやって、絵を描いていったらいいのか…ともかく、体当たり。出逢ったものを やってみなければ、これ以上先には進めない。色彩心理も そのうちの大事なひとつです。

見えない光を求めて  …
でも、本当は、光はそこにあって、見ないフリをしていたのかもしれない。こころの奥にしまいこんで、ずっとずっと「私」という輝き  を 守ってきた「わたし」。

さて、絵に戻りますが 描いている最中は、とっても気持ち良かったです。 B4くらいの大きさの画用紙に描いたのですが、紙の大きさが足りなくて、もっともっと大きなキャンパスに描きたいくらい・・・。
ネガティブな感情を、今までに無いくらい強いタッチで、確信を持って 描いた中に、そんな私を見守る「
眼差し  」のようなものが、ありました。

「私」と「わたし」が、完全に重なっているときは、つらかったですね。だから、「弟との約束」という、外側の何かが必要だった。

だけど、この絵を見ていると、「私」のなかに「わたし」がちゃんと息づいていて、「私」を客観的に、だけど信頼を持ってあたたかく見守る「眼差し」があるように見えます。「安心して、どんな感情も表現しても 大丈夫だよ。どんどん、解放して!  」と伝えてくれているかのようです。

そして外側の何かに、自分の存在を預けなくても、「私」が<わたし>であることで、ここに存在していてもいいというように、自分の内側に持つ感覚がまた少し強くなってきている印象を受けます。

ネガティブな感情にも、ちゃんと向き合っていける、本当の強さを、これからも育てていきたいと思います。

感情に、良い悪いはなく、

ドロドロも ネガティブな感情も、

全部ひっくるめて まるごとの自分自身。

ちゃんと味わって、

良い悪いを超えた「わたし」の視点から、

次の 自分の人生創造の選択を

軽やかな こころで、行い、

あなたと、また

まっさらな こころで

出逢っていきたい と思います。

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