子どものテンポに付き合ってみた
娘が幼稚園の年少の頃のことです。
毎日車で通園していました。駐車場から玉川上水沿いの道を通って幼稚園へ行きます。この玉川上水沿いの道は、雑木林っぽくなっていて、道も土です。娘にしてみれば、とても魅力的です。大人の足で行けば、5分もかからないようなところ。ひとつひとつ石をひっくり返し、ここにダンゴムシがいるかいないかを調べながら歩くので30分近くかかります。なので、朝家を出る時間を30分早めました。
なぜなら、帰りは、1日頑張って幼稚園で過ごしていた緊張が一気にほどけるのか、先生にさようならをして私の顔を見た途端、火がついたように毎日大声で泣き出し抱っこをせがむ。延々駐車場まで、抱っこした私の耳元で泣かれます。車が走り出した途端、パタリと眠ります。帰りは、ダンゴムシどころじゃないのです。
ちょっと横道にそれますが、泣くことに関してです。1月生まれの娘には、入園を早すぎたかな?2年保育にすれば良かったかな?とも思いましたが、私が耐え切れませんでした。一人でいる時間が1時間でも2時間でも、どうしても欲しかったのです。なので、娘に頑張ってもらいました。娘もちゃんと自覚しているんですよね…。その代わり、一緒にいるときは、心地よく二人で過ごせるように工夫しました。
さて、話を元に戻します。
ダンゴムシが終わると、次は空想上の何か生き物が草の陰に隠れているそうで、それを探しながら歩きます。カタツムリ探し、どんぐり拾い、もみじの葉っぱ拾い…など。それぞれひとつずつ充分に堪能すると次へ移っていきます。子どものこういう行動に、日々家事や仕事に追われている大人は、普通は付き合いきれないと思います。
だけど、私はコンクリートに囲まれていたところで育っていたのもあって、自分もその歳になって初めてカタツムリを触ったり、どんぐり、もみじなど、とても新鮮で、娘の視線の高さに私もかがみながら、どんなふうに世界が見えているのだろうか? どんなふうに感動しているのだろうか? と一緒に探ることが、とても楽しかったのです。
そんなんで、習い事は何もせず、ひたすら玉川上水沿いで遊んでいた娘の幼稚園時代でした。
あ、でも5歳のとき、「いつヴァイオリンを弾かせてくれるの?」と言い出したので、ヴァイオリンを習い始めました。私が家で練習するのを聴いていて、自分もヴァイオリンを弾くのは当たり前のことだと思っていたようです
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