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2009年11月

冬の柑橘の時間

アトリエからの帰り道。

「先生の時間をとってしまってごめんなさい。」というお母さまの一言を思い起こしていた。

「いえいえ、そんな! わたしの時間はたくさんありますよ~♪」 と応えながら、(あれ? 何かが違うなぁ…何が違うのかなぁ…?)と私の中に生まれた小さな違和感を思い、荷物を引きずりながら歩く。

ふと、目をやると、ウッドビーズのような草の実が、笑いかけてきたように思った。

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センスオブワンダー・スイッチ ON 

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これは、なんという柑橘なんでしょうか??

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そして、キミは。。。

   

そうだった。。。

私の時間は、たくさんある。

無い無いと思っていたけれど、いつの間にか、自分の時間がたくさん増えていた。

アトリエも、大切な大切な いとおしい「わたしの時間」。

アトリエに来てくださる、子どもたちや養育者の方々との共同作業で生まれる大切な時間です。

私は、やっと自分のやりたい事で仕事させていただいているんだなぁとしみじみ思い出させてくれた、大切な今日のお母さまの一言に、感謝とともに柑橘の香りをお礼に。

それぞれが、それぞれにとって、

私が<わたし>を生きる、大切な時間。。。となりますように 

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待降節

夜になって、雨が降ってきました。

雨の音を聞きながら、バス停で「メイ」を負ぶった「さつき」が、「トトロ」に傘を貸すシーンを思い出しました。先日、トトロがいそうなドングリの葉っぱを見つけたからです。

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玉川上水の、あのドングリの樹も、どうしているかな・・・。

 今日から待降節(アドヴェント)が始まりました。

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街はクリスマスやお正月を待ち望むイルミネーションなどで、華やか…。 その反対に、私の心の中は、天体と重なって、どんどん静まっていきます。

無宗教の私でさえ、冬至の行事とも重なって、この季節はとても感じるものが多くあります。
自分の誕生日(ちょうど1ヵ月後です)もあるし、お正月に向けて、大掃除や新年の準備、元旦を迎えるといっせいにみんながひとつ歳をとる「数え年」の風習や、節分などを通して、生と死、光と闇のテーマを、ひとつひとつに行事の中で繰り返し、何回も体験するような感じがします。

そして私には、実弟の誕生日と命日である2月11日というのもあります。それを越えると、やっと新しい年の自分に出逢うことが多いです。今回は13回忌です。まだまだ複雑な想いがたくさんありますが、時間がやさしく変容を起こしてくれています。 
時間はありがたいです。

どなたかのお話を聞いているときに、「静かに静かに思うことで、深く伝わる」という言葉を聴きました。「静かに静かに(大切な人を)思う」には、ピッタリの季節。

それもまた良し!!

だけど、せっかくのクリスマスやお正月ですから、カードや年賀状、詩を贈ったり、歌や演奏を贈ったり、絵を贈ったり…と表現して、お互いに伝えあうチャンス…。これらのことは、生きている「今」しかできないことなんだよなぁ~。

どちらの過ごし方であっても、
豊かで幸せな時間でありますように 

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緑地にて

今朝は、急にお陽さまが射し込んできて、町が朝靄に一瞬包まれました。

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近くの緑地まで行ってみました。

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メタセコイヤの紅葉です。

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ヒイラギの仲間でしょうか?

小鳥の声に包まれながら、「小さなワンダー」に出逢った、小さな時間でした 

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フェイジョア

昨日、実家のお義母さんより、フェイジョア第2弾が送られてきました!

あと、残り3個くらいで、さみしく思っていたところだったので、本当にうれしかったです。いただくには、ちょっと小さすぎる実でジャムも作ってくださり、一緒に送ってくださいました。

フェイジョアは、ニュージーランドやオーストラリア原産で、実が落ちたものを追熟させていただきます。

私はその香りが大好きです。食べころになるにつれ、香りの甘さが増してきます。

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青いときの香りは、17年位前、北海道の然別湖畔に宿泊したとき、朝、湖を覆い包みこむような、かぐわしい香りに、とてもよく似ています! それから、玉川上水沿いを歩いているときに、たまに香ってくる水の香りにもよく似ています。

最近では、京王線の北野駅南口の信号付近ですることがあります。

なぜだか、とても幸せな気持ちになる香りです。

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冬桜

大泉学園駅より、徒歩3分くらいのある公園で、

冬桜が咲いていました。 初めて冬桜の花を見ました!

春に咲く、桜とはまた違って、小さな可憐な花が、枝のそこ、ここに。今日はまた一段と寒かったので、桜の花が咲いているなんて・・・とてもこの世のこととは思えず、幻想的な不思議な感覚になりました。

春の桜は、稲の神さま(サ)が、おわす場所(クラ)としての、サクラだというそうですが、この冬にかけてのサクラは、どうなのでしょうか…?

春の(サ)が物質的なものだとしたら、冬の(サ)は精神的なものなのでしょうか?

これから冬至に向けて、どんどん暗くなります。でも私はとても安心します。これ以上暗くなりえないと…。そして1年のうちで一番暗いこの時期こそ、希望に満ちた季節なのだと毎年思います。

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2009年11月12月のイベントのお知らせ

イベントのお知らせ、2件です。

★『歌を楽しむ日曜日』 11月22日(日)

  大泉勤労福祉会館音楽室にて
  午後2時開演
  参加費 大人3000円/中学生まで500円

  お申込・お問合せ
  たつの素子 E-Mail:motoko1228@jcom.home.ne.jp

  ※9年前から、お世話になっている、声の教室の先生・たつの素子さんの声と心を合わせる会です。大人も子どもも楽しめる楽しい会になると思います!

「毎回ゲストを迎えていろいろな作品を聞いていただく&毎回声を合わせて歌います。いろいろな歌とであって、実際に自分の声で歌い、他の人の声を聞いてみて下さい。自分らしい歌の楽しみ方を発見していただけたらと思います。今回は長年<わくわくパズル>として一緒に舞台を重ねてきた小沢栄子さんと一緒です。子ども劇場や学童、保育園で公演してきた「がまくんとかえるくん」のシリーズです。小沢さんの秋田弁と私の新宮弁でのやりとりをお楽しみください。」―――チラシより

★『あわのほしまつり』 みんなそ(素)のまんま計画

12月11日(金)~12日(土) 本應寺(東京・杉並)にて

詳しくは http://plaza.rakuten.co.jp/moon1210/diary/200911170000/

現在のアトリエの場所へとつないでくれた、Jasmineさんの企画。

また出産の陣痛のさなかお世話になったり、独立して新たな助産院を開いて呼んでくださったり、子育てをサポートしてくださったり、私の自立をサポートしてくれたりと、本当にいろいろなことをチャレンジさせてくれ、たすけてくれた、助産師の椎野まり子さんや、そのほか、たくさんのお世話になった方々が出演します。盛りだくさんの楽しい会になりそうです。

おもしろいことに、どちらの会も「素」というKeywordが入っているんですよね 

来年のキーワードなんでしょうか・・・??? 

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エサイの根より -「再会」を想ふ-

映画『きみがぼくをみつけた日』の冒頭で流れる「エサイの根より」は、16世紀後半にドイツで作曲されたクリスマスキャロルだそうです。日本では賛美歌96番として親しまれているそうです。ドイツ語歌詞の内容を要約すると「エッサイの根より一輪のバラが咲いた そのバラは先人がかつて歌ったように イエスの血筋を引く」というものだそうです。

私は、無宗教人間なので、賛美歌のことには明るくないのですが、娘がキリスト教学校へ通っているので、娘が口ずさむのを耳にすることはあります。

実は、来週の土曜日、娘の学校の説明会が、学校のチャペルで開かれることになっています。娘は受付開始時間から会の始まり15分前まで、パイプオルガンとともにヴァイオリンで、ウェルカム演奏をさせていただくことになりました!

その演奏候補の1曲が、なんと「エサイの根より」だったのです! 映画の冒頭の音楽を聴きながら、とても不思議な気分になりました。偶然といえばそうでしょうが、映画のテーマといい、長くお付き合いいただいている、ぽにょさまからの紹介といい…。

そしてラストシーンの<色>からのメッセージから、とてもお世話になった、もうあちらの世界へ行ってしまわれたある方を思い出しました。その方は「再び出逢うこと」という言葉が大好きでした。
毎日、朝起きるたびに、娘や夫に「再び出逢うこと」になります。そのとき、私はどんな気持ちで逢っているのだろうか? アトリエに来てくれる子どもたちやお母さまたちに、前回のアトリエから今日「再び出逢うこと」になるのですが、そのとき私はどんなふうに出逢っているのだろうか…? 昨日(過去)を引きづり、嫌な顔したり、思い込み、決め付けで逢っているんじゃないだろうか…。

そういう自分の至らなさ、弱さを認め、それも内包した上での真綿のような<○○色>。自分のこころも、出逢うたびに、人間として、まっさらなこころでいよう。

そしてそこから一輪のバラが咲く ・・・ 

思うえば思うほどに、スルメイカのような映画だったのだなぁとまた感動があらたに…。

ところで、ヴァイオリン弾きとしては一度チャペルでヴァイオリンの響きを体験したいと思うものです・・・私だけ?・・・いえいえ、娘もそう思ったようで、聖歌隊の先生に直談判をしたら、すんなり試し弾きをさせていただけることになり、それを聴いた先生は機会があるごとに、娘にヴァイオリンを弾くチャンスをくれるのです。本当に良い体験をたくさんさせていただいて、ありがたいことです!

チョー親馬鹿な私としては絶対に聴きに行きたいと思ったのですが、仕事と重なっているため残念…。それならば、練習時の演奏を…と、今朝、行ってきました。v (今朝の外気温3℃。霜が降りてました)

渦を巻いて、天窓に抜けていくような造りのチャペル。真ん中で聴いていましたが、なかなかよかったです。

いつか石造りの高い天井のあるチャペルで、バッハを弾いてみたい…。そして倍音が織りなす天使の歌のような響きをぜひぜひ体験したいものです。

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ホッコリ

今日は、全国的に冷え込んだようですね。空気も冬の香りがしていました。
雨が降ったりやんだり、雲の切れ目から夕陽が射し、素晴らしい自然のドラマが展開していました。朝から予定していたことができなかったり、予期せぬことがあったり、ちょっと滞った1日だったのですが、この夕陽を見たら、「すべてはこのために」と思えてきました。それに、郵便ポストをのぞけば、安納芋の絵手紙が・・・ホッコリが、たくさん伝わってきて、ぬくぬくといっぺんに温かくなりました。ありがとう!!

少し前には、わんこちゃんの置物が我が家にやってきて、今はお気に入りのプチ・モンステラちゃんと一緒に、出窓に鎮座。思わず鼻面をなでなでしてしまう、とても愛嬌のある瞳で、贈って下さった方にそっくりです! こちらも ありがとう!!

そしてさらにちょっと前には、「フェイジョア」という南半球原産のフルーツが、実家の義母から贈られてきました。実家の庭で育てていて、今年は5センチくらいまで大きく実りました! 私は、このフルーツの香りが大好き。 お味もとっても好き。私は良い嫁とは決して決して言えないのですが、とても大事にして頂いていて、本当にありがたいです。お母さん、ありがとう!!

そして、ブログを楽しみに読んでくださっている方々に、本当にありがとう!!

うれしいホッコリ連鎖に 感謝

             

※ただいま、BackUp用のPCでブログを書いているので、写真の取り込みができなくて、今日の夕陽をお見せできないのが残念です。またの機会に。

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庭にて(2)

すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、「自然農」の考えは、子育て&自分育てにも重なるものがあります。雑草も活かす在り方が、子どもや自分自身を見るまなざしに、とても役立つと思います。

さて、雑草だらけの状態から、冬が来て、春が廻ってきました。

春に遊びに来てくれた友人が、雑草だらけの状態を見て「野草が生えてくる庭なんて、素敵じゃない!」と一言。これも食べられるよ、これも…と次から次へと、この狭いスペースに生えている草を指差し教えてくれました。なんでもチャレンジャーな私は、もちろん教えてもらった野草を天ぷらにしていただきました! 格別な味でした

それから、以前から抱えていた収穫できるものを植えてみたいという想いがむくむくと湧き上がり、ミニトマトときゅうりを植えてみました。

毎日、あちこち雑草の様子や野菜やハーブの様子を見ているうちに、自然に庭に道ができたのです。獣道ならぬ「プレモワンモ道?!」。

すると、ここに池が欲しいね…ということになり、ネットでいろいろ調べた結果、衣装ケースを使った「なんちゃってビオトープ風」の池をつくりました。 それに刺激を受けて、次から次へとイメージが湧いてきます。また、気に入った苗を、どこに植えようか、雑草の生え具合から、なんとなく直感したり、遠くから近くから、あちこちから眺めて、しっくり来るところに植えてみたり、お試しが続きます。

先日あらためて、ゆっくりと客観的に庭を眺めていたら、庭やその空間そのものを擬人化して接している、その感覚は「アトリエ的なアプローチ」と同じだったことに気がついたのです。

子ども(庭)が、成長したい方向はどっちだろうか? 今、求めていること、やりたいことはなんだろうか? 子ども(庭)のために、本当に必要なことは何なのだろう? 

しつけや教育(無理な成形、農薬、除草剤などで整備し管理してしまったら)の枠組みにとっぷり浸かっていては、なかなか気づけない。ときには枠組みを外したところから、子ども自身の立場に立った成長欲求を、キャッチする。

成長に悪影響をする強い刺激(小さい苗の周りになる、大きな雑草)は、地面すれすれで刈り取りますが、根っこは残したまま。いづれ、大きくなった苗は、その雑草たちがいても、共存していける強さを持つでしょう。

何をしていても、アトリエの子どもたちと接するときの、まなざしにつながる、学びがたくさんあるのですね…。それは、子どもたちだけに向けられるものではなく、自分自身を含めた、いろんな人やモノにも、つながっていけたらいいのだろうなぁと思います。

なぁ~んて、理想は 高く 大きく! 

そして、今の小さな私にできる小さいことを、

のんびり 1ミリずつ、

休みながら、

道草を楽しみながら、

たくさんの いとおしいものに助けられ、支えられながら

今日も へなちょこな私を どうぞ よろしく 

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一晩明けて-昨日のたくさんの体験から

色彩心理を学んで、とてもよかったことは、日常生活のなかで、色から受け取る自分へのメッセージ、色を使う自分への気づきに触れる機会が増えたということです。

そうやって自分とのコミュニケーションが少しでもできるようになってくると、必要以上に良い人になってやりすぎたり、NOと言えなくて疲れちゃったり、家族や全然関係ない人に当り散らしたり、仕事の上での人間関係で無理しちゃったりというのが、少しずつ減ってきて、他者とのコミュニケーション(ネガティブなことも、ポジティブなことも)も、だんだんスムースに流れるようになってきました。

昨日観た映画『きみがぼくを見つけた日』でも、色から受け取るものがあって、作品をより深く自分に引き寄せて、楽しめたように思います。美術担当の方に、私が受け取ったような意図があったか、あるいは無意識(あまりありえないことかもしれませんね)にその色を使ったかどうかはわかりません。でも、言葉にならないヒロインの気持ち(作者の気持ちでしょうか?)が、色を通して私に伝わり、私の中の何かが刺激され、そして大切なメッセージとして受け取り、自分が大事にしていることを再確認できたのだと思います。上映中の作品なので、色の読み解きは遠慮しておきますね。

昨日の朝日新聞に3回シリーズの1回目『欧州の安心※心を癒す』という記事が載っていました。そのなかにリチャード・レイヤード卿(ロンドン大学経済政治学院名誉教授・幸福経済学の提唱者)の言葉で「人生において何が一番悲惨かと言えば、収入が少ないことではない。心の病に悩んでいることなのです。」とありました。

色はとても助けになります。色を使って、こころのセルフケアすることができます。ただ色を紙に塗りつけるだけでいいのです。とても安全で、適切な方法です。薬物依存症の記事もありましたね。そのような心身ともに自分や他者を傷つけるようなことはありません。

日常生活のなかで、<色>が私のそばにいてくれて、本当に良かったと思います。

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オーバーフローしてます(^^;)

朝、急に思い立って、映画『きみがぼくを見つけた日』を観に行きました。そのあとすぐに色彩学校の聴講へ行き、家に帰って、荷物を受け取り、昨晩パソコンが壊れたので、新しいパソコンを手に入れた夫を迎えに行き、そしてさきほど、子どもの自殺者が最多という新聞記事を読み、娘の愚痴も聞き…。

笑いも、悲しみも、楽しみも、せつなさも、歓びも、叫びも、驚きも、うれしさも…、たくさんの心に触れることがあり、オーバーフローしています

だけど、今 また こころに鳴り響いている、確かなこと。

それは・・・

明日は、この世にいないかもしれない(どんな人にも そんなことがありえる)、いとおしい人々。。。

出逢えた歓びと感謝を、

オブラートに包むことなく、

私の ありのままで、

あなたに 真心から伝えたい。

その愛のかたちが

いつまでも

美しい記憶として

こころのなかの

豊かさとなりますように。

その きらめきで、

この世界が満たされますように。

   

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庭にて (その1)

日常生活の中で、ふとアトリエ的なアプローチをしているときがあります。

たとえば、庭つくり。
昨年の夏に今のところへ引っ越してきました。小さな猫の額ほどの庭を作れるスペースがありました。さっそくガーデニングや庭つくりの本を眺めてみますと、本当に素敵な庭がたくさん載っています。洋風、和風、作りこんだ感じ、自然な感じ…どれもとても良くて、私の優柔不断さがますます強くなるばかり。

そんな私をみかねて、友人が庭師を紹介してくれました。「目をつぶっても美しく感じる庭をつくるのが夢」という素敵な方です。一度スペースをみていただきましたが、本当に最低限のアウトラインを伝えてくれただけ。
次から次へとアイデアを提供することはなかったので、逆に私にはありがたかったです。なぜなら、自分のテンポでゆっくり、そのスペースを感じながら作っていきたかったからです。

最初の1年は、何もせず、雑草が生えたい放題、伸びたい放題。ご近所の手前、小奇麗にしておくのが社会人として常識的な行動なのでしょうが、私には私なりの理由がありました。

その理由を話す前に、そこにつながる、感謝してもしきれない、大切な出逢いのことを書きたいと思います。

10年位前、とてもお世話になったペンションがあります。信州安曇野にある「シャローム・ヒュッテ」という、野菜料理を楽しんでもらう穀類菜食の小さな宿です。http://www.ultraman.gr.jp/~shalom/shalomgaiyou.htm
娘のアトピーで、キューキューになっていた私には、家族みんなが安心してゆっくり過ごせる、天国のような宿でした。
オーナーの臼井さんは、もと山小屋の支配人です。山小屋でのシンプルな生活をしているような、人と人が助け合う、温かさを感じられます。また自給自足のエコロジーライフをそのまま宿でも実践していました。

コンクリートで固めた街で育ってきた私には、シャロムでの滞在はとても新鮮なことばかり。あるとき、明け方にふと目を覚まして、窓の外を見たら、大きな鹿がすぐそこにいました。大きな優しい瞳に見つめられ、身動きひとつできなくなってしまった私。穏やかに静かにその場を離れていった鹿さん。野生の動物をあんなに間近で見たのは初めてでドキドキしたのを今もありありと思い出せます。

その頃、宿泊客に希望があれば、朝の6時に畑にいって、朝食時にいただく野菜の収穫を手伝うということをしていました。その畑で学んだのが「自然農」という考え方です。雑草は普通<悪者>ですが、自然農では雑草を抜いたりせず、野菜が大きくなるまでは、根っこを切らずに地面すれすれのところを切って、草はそこに寝かしておきます。畑は耕さなくてもフカフカになり、草が肥料になります。そして雑草にまみれて野菜がどんどん大きくなっていきます。その野菜のおいしいこと! そして雑草たちも調和のためにそこに生えてくることを知りました。雑草や虫たちと共生した結果いただけるものを収穫する。人間の都合ばかりを優先し、化学肥料や農薬を使うと、栄養価の低い、ひ弱な野菜たちができてしまうことは、誰でも知っていることです。

私の場合、畑を作るつもりはありませんでしたが、庭に植える樹や、草花が心地よく生きていける空間のために、まずは良い土を、この土地の力で作っていこうと思い、自然農的な庭(つまり雑草だらけ?!)を始めたのでした。
(続く)

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まど・みちおさんの100歳のお誕生日の夕陽

今日の夕陽も・・・うつくしい・・・

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天使の梯子

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富士山の真上より、左と右に世界が二つ、現れています。

まど・みちおさんなら、なんと名づけるのでしょうか? 

まどさん、お誕生日おめでとうございます

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あ~きの 夕陽~に~♪

日没のこの時間帯は、空を眺めたら、暗くなるまで、釘付けです。

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サーチライトのような夕陽です。まぶしくて、まぶしくて、それでも全身夕陽にあたっていたい…。

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これかの季節、夕焼けがますます美しくなっていきます。ただ、ただ見とれるばかりで、言葉を失います。毎日眺めていても、飽きるこのない、自然の美しさ。刻々と色が変化していくに伴って、心の奥の何かが刺激されます。。。

このオレンジの光が、私の記憶をやさしく包み、穏やかに思い出させ、解放し、ひとつの区切りをつけさせてくれたのかもしれません。「オレンジ」の記憶をまた改めて別の日に書きたいと思います。

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秋の朝陽に

久しぶりのお日さま、うれしい朝です。

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富士山もチラリと見えました。

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朝陽に輝く、しずくちゃんを撮るのが大好きです。

これはミニトマト。まだ頑張っていて、収穫できます。

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ねこじゃらしの黄金色も大好きです。秋です。

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ローズマリーの香りも好きです。

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なぜ、ここにラベンダーが??? 種を蒔いたのかどうか、すっかり忘れていますが、元気に大きくなってきました。

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土に触れられること、このうえなく贅沢なこと。

庭のこと、また改めて、書きますね。

今日も1日、みなさまにとって 素敵な1日でありますように♪

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葦牙(あしかび)

今日『葦牙(あしかび)―こどもが拓く未来』という映画を観てきました。

 

3日に一人、虐待によって命を落としている子どもがいると言います。「この映画は、虐待を受けた子どもたちの心の奇跡と、それを見守り、育み、心の回復に真剣に立ち向かおうとする人々の記録です。」(映画パンフレットより)

 

『葦牙―あしかび―こどもが拓く未来』
http://www.kazesoyo.com/

 

正直なところ、とても重いテーマで、いろいろ感じることころがあっても、なかなかそれが言葉になりません。でも、いろんなことを考えさせられる、とても良い映画なので、もしお時間があるようでしたらお勧めの映画です。観に行ってみてください。

 

身体的暴力による虐待だけでなく、アリス・ミラーの著書『あなたのためを思って』(日本語タイトル「魂の殺人」)のなかに書かれている、しつけや教育による精神的虐待もあります。

 

どうか、子どもが子どもらしく、のびのびと生きられますように。

 

そして、子ども時代にのびのびできなかった大人たちが、胎内にいるときのような、純粋な気持ちを、また取り戻せますように。

 

私に出来る小さな一つとして、アトリエを続けていくことを、また再確認したのでした。

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妊娠生活(2)

妊娠5ヶ月になり検査の結果、疑いが晴れ、産む場所を、病院から助産院へと変えました。
それからの妊娠生活は、本当に幸せでした。ホルモンの影響なのか、見るもの・聴くもの、すべてが美しいのです。あまりの美しさに、よく涙していました。
助産院主催のマタニティ・ヨガに通ったり、アロマを勉強したり、毎日1時間の散歩もとても楽しみでした。日々刻々と代わっていく、近所のサイクリングロードの木々の変化を見ながら歩いたり、近所に住む同じ助産院で出産予定の友達と歩いたりしました。

そしてペア・ヨガに参加して、私はそれまで触れたことのない、考えに触れたのです。ペア・ヨガは夫婦で参加します。陣痛が始まった妊婦をどのように夫が支えるか、というのが主なテーマです。

そこで講師だったドラゴンママには、その後たくさんお世話になりました。ドラゴンママの言葉で一番カルチャーショックだったのは「妊婦さんの言うとおり」です。

わがままに産んで良い

それまであまり自己主張・自己表現をしてこなかったのもあって、抵抗を感じました。通常なら「わがまま」と言われてしまうようなことでも、それをちゃんと表現して産んで良いと言われ、正直とても困りました。想像もつかない世界だったので『お産のイメジェリー』カール・ジョーンズ著メディカ出版がとても役に立ちました。

お産について、いろんな本が出ていて、お産の流れを紹介しています。でもマニュアルどおりにいくことは少なく、一人一人違うということ。自分のこころの声や、身体の感覚をちゃんと感じていけば、マニュアルは要らないとわかっていても、今まで、自分の感覚よりは、世間一般や常識に従って生きてきた私は、マニュアルがほしくなってしまう。。。
自分の感覚を取り戻す前に、出産の時期は来てしまうのでした。

出産は、微弱陣痛でなかなか陣痛につながらず、破水しても陣痛がつかなかったので、結局最後は、提携していた個人病院で産むことになりました。幸い帝王切開にならずに、自然分娩することができて、また、そうなるように努力してくださった、医師や助産師のみなさんに感謝です。

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妊娠生活(1)

結婚して、すぐに子どもを持つことは、私にとっては、とても恐ろしいことでした。このまま何も考えず、子どもを持ってしまったら、無意識に無自覚に、また私のような人間が出来上がってしまうと思っていた私は、しばらく「自分探し」をすることにしました。

受けたくても家庭の事情で受けることの出来なかった大学教育なるものを、通信制の大学で学びました。「こんなに勉強する大学生は初めて見た!」と夫にも言われるくらい、心のおもむくまま夢中になって勉強しました。自分の根っこ探しでもあります。アカデミックな勉強だけでなく、根っこというのは育てていくものだと気づくには、これからまだ何年も先のことです。

それから、中学生のとき、ひそかに弾いてみたいと決意していたり、オーケストラの演奏会を聴いてものすごく感動し、あの音の渦の下であるオーケストラの中で聴いたらどんなふうに聴こえるのだろうか、あそこで演奏してみたいと思ってしまったのもあり、Violinを習い始めました。

また公共団体が開催している消費者向けの講座など、あちこち出かけて、それまで仕事一筋だった私の偏りを、訂正するかのように学んだりもしました。

3年経った頃、このままでは、子育てが出来るような私になる前に、人生が終わってしまう…と気づいた私は「生まれてくる子どもと一緒に私も育てばいいのだ!」とふとひらめき、授かった子が、今の娘です。

妊娠初期の頃は、子宮の壁に影があり、胞状奇胎の疑いがあると病院で言われました。妊娠して、よりナーバスになっていた私は、医者や病院の人々の何気ない一言によく傷ついていました。そのうえ、疑いがあるとわかり、毎週検査のために病院に通うのはきつかったです。でも、週をおうごとにお腹の中の赤ちゃんの成長が確認できるので、良いこともあるな~と思い直しました。
このことは、夫以外には親にも誰にも言いませんでした。心配されることが耐えられなかったのです。今から思えば、それくらい私はショックを受けていたし、不安が強かったのですね。

ある時、エコーの画像を見ていたら、宇宙空間のような子宮内の羊水にポッカリと浮かんでいる娘の、足を魚のヒレのようにクルクル回している姿が映っていました。あまりにその平和でのんきな姿に、思わず笑いがこみ上げてきました。この子は絶対大丈夫。一緒に頑張ろうねって、それから思えるようになったのです。
(続く)

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大きな樹

プロフィールに使っている写真は、白神山地にある「マザーツリー」です。

7,8年前家族旅行で行ったおり、夫が撮ってくれました。右下に小さく見える人影二つが、娘と私です。2枚の写真を合成しています。

私は、大きな樹が大好きで、このときもどうしてもブナの原生林の中に立つ、大きな樹が見たくて、家族と一緒に出かけました。広葉樹の葉の優しい光と白い幹と、そのなんとも言えない、立ち姿。「マザーツリー」だけの存在が引き立つのではなく、周りの小さないろんな種類の木々や植物たち、生きものと溶け合って、やさしくやさしく力強く、しなやかにしっかりと、大きなあなたと小さな私、、、あとは、言葉に出来ないような、静かな静かな何かに、圧倒され、ただただあなたの前で、立っているだけの私でした。
今も写真を見ると、そのときの感覚が淡く思い出されます。

玉川上水沿いにも、お気に入りの大きな樹がいます。大きな大きなどんぐりの樹で、遠くからいつも見守ってくれるようです。毎日そばを通るのがとても楽しみでした。代わり映えしない日も、そこにいてくれることがうれしかったし、紅葉で葉の色が変わったり、雨で幹の色が変わっていたりするのも、美しいと思いました。遠くから眺めてもその立ち姿は美しく、いろんな風雪があっただろうに、すっとしていて、何があっても、自分に正直に誠実に生きてきた人のようにも見えます。
以前住んでいた家の近くに、大きな公園があり、そこにも大きな樹がたくさんありました。なかでも一番のお気に入りは、桜の老木です。以前他の場所で、友人と一緒に桜の樹を見ていたとき「大地からのエネルギーをらせん状に吹き上げているかのような幹だ」と友人が言っていましたが、本当にそのとおりです。あのうすピンクの桜の花を咲かせるとは思えないほど、力強く、太く、ゴツゴツとした幹なのです。そんな表面的なゴツゴツさのなかに、本当の優しさを秘めているようで、やさしいってどういうことだろう、強いってどういうことだろう、と考えていたときに、よくそばにいって、眺めていた桜の老木です。

大きな樹を眺めていると、たいてい時間を忘れます。樹を通して、今の自分を振り返ると、うれしいことは樹を通して世界中に広がっていくようだし、おごっている自分がいれば、小さな自分をそっと教えてくれるし、大きく悩んでいたことが小さくなって乗り越えられそうな気持ちになって元気が湧いてきたり…いろんなことで助けられています。感謝。

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子どものテンポに付き合ってみた

娘が幼稚園の年少の頃のことです。
毎日車で通園していました。駐車場から玉川上水沿いの道を通って幼稚園へ行きます。この玉川上水沿いの道は、雑木林っぽくなっていて、道も土です。娘にしてみれば、とても魅力的です。大人の足で行けば、5分もかからないようなところ。ひとつひとつ石をひっくり返し、ここにダンゴムシがいるかいないかを調べながら歩くので30分近くかかります。なので、朝家を出る時間を30分早めました。

なぜなら、帰りは、1日頑張って幼稚園で過ごしていた緊張が一気にほどけるのか、先生にさようならをして私の顔を見た途端、火がついたように毎日大声で泣き出し抱っこをせがむ。延々駐車場まで、抱っこした私の耳元で泣かれます。車が走り出した途端、パタリと眠ります。帰りは、ダンゴムシどころじゃないのです。

ちょっと横道にそれますが、泣くことに関してです。1月生まれの娘には、入園を早すぎたかな?2年保育にすれば良かったかな?とも思いましたが、私が耐え切れませんでした。一人でいる時間が1時間でも2時間でも、どうしても欲しかったのです。なので、娘に頑張ってもらいました。娘もちゃんと自覚しているんですよね…。その代わり、一緒にいるときは、心地よく二人で過ごせるように工夫しました。

さて、話を元に戻します。
ダンゴムシが終わると、次は空想上の何か生き物が草の陰に隠れているそうで、それを探しながら歩きます。カタツムリ探し、どんぐり拾い、もみじの葉っぱ拾い…など。それぞれひとつずつ充分に堪能すると次へ移っていきます。子どものこういう行動に、日々家事や仕事に追われている大人は、普通は付き合いきれないと思います。
だけど、私はコンクリートに囲まれていたところで育っていたのもあって、自分もその歳になって初めてカタツムリを触ったり、どんぐり、もみじなど、とても新鮮で、娘の視線の高さに私もかがみながら、どんなふうに世界が見えているのだろうか? どんなふうに感動しているのだろうか? と一緒に探ることが、とても楽しかったのです。

そんなんで、習い事は何もせず、ひたすら玉川上水沿いで遊んでいた娘の幼稚園時代でした。

あ、でも5歳のとき、「いつヴァイオリンを弾かせてくれるの?」と言い出したので、ヴァイオリンを習い始めました。私が家で練習するのを聴いていて、自分もヴァイオリンを弾くのは当たり前のことだと思っていたようです

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自分にできる精いっぱいって?

「自分に出来る精いっぱい」とは何だろうか?とよく考えます。

まだまだ自分に出来ることがあるんじゃないか? もっと○○しないといけないんじゃないか? 良い子に育つように○○をちゃんとしつけなくっちゃ、そのために△△をさせて…と、次から次へといろんなことが浮かびます。
でも、本当に、これらは全部やらなくっちゃいけないんだろうか? それが、「本当に子どものことを考えた」、自分にできる精いっぱいなんだろうか?と自問するのです。

夏にあった色彩フォーラムでの講演のお話の中に、最近「過干渉」が原因で「うつ病」や「うつ状態」になる人が増えてきたと聞きました。

良かれと思ってやっている中身を見直すと、もしかしたら余計なことがあったりして、それを省くだけでも、もっと親子ともに楽になるんじゃないかと思いました。

幸いアトリエでは、子どもたちへの規制が少ないので、親もちょっとのんびりしながら、子どもたちの様子を見ることができます。

普段なら、しつけのために口やかましく言ってしまうようなことでも、言わなくてすむ環境がアトリエです。大人から見ると困ったことですぐ注意したくなることも、ちょっと我慢して黙ってみている(これが結構難しいんですよね)と、子どもは本当のところ、何をやりたかったのか、よく見えてくることがあります。成長のために必要なことは、子ども自身が知っているんだなといつも感動します。よく見えなくて、最後までわからないこともあります。でも、どちらであっても、ちゃんと堪能すると通り過ぎていき、二度としないか、たとえもう一度しても、確認する程度で終わることが多いです。

すると、周りに迷惑がかからない環境を大人が作り出して、そこで子どもを思いっきりさせちゃったほうが、困ったことも良いことも早く抜けていく=成長が早いということに自然に気がつかれていきます。

もちろん、その子なりのテンポがありますので、個人差はあります。このテンポも大事にすることが、小さいうちは必要ですね

わかっちゃいるけど、忙しいこのご時世、これが一番大人にとって困ることなんだっていう気持ちもよくわかりますよ…。

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お母さん、大好きだよ。ありがとう。

前回の記事を読むと、子どもにかかりきりで、ママは仕事が出来ないじゃないか…と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。
山西先生の著書を読んだり、相談所で他の方へのアドバイスを聞いたりしていると、働くママをとっても応援しています。一組、ひと組、それぞれの親と子の様子や状況をしっかり見たうえでの、アドバイスなのだなぁといつも感じていました。本当に、親も子も同じように、ひとりひとりを大事にされていました。

20分間隔授乳を始めた頃、教えていただいたことを元に自分なりに考え、私の場合は、こんな感じで1時間が過ぎていきました。
15分…抱っこしながら家事をする
     (おんぶは娘が嫌がりひどく泣きました)
 5分…授乳
15分…おむつ交換 
     (寝かすと不安のためか泣き叫び、
      顔をかきむしって血だらけになる)
 5分…授乳
15分…肌の手当て
 5分…授乳
15分…抱っこしながら○○をする…

おしっこの間隔が1時間くらいと短く、紙おむつだとまっ赤にかぶれたため布オムツにし、異常に薬嫌いだった私は、ステロイド剤はもちろんのこと他の薬を一切使わなかったし、娘も何かを肌に塗ることは嫌がっていました。
なので、手間がかかること、このうえない。
決して誰にもお勧めできません。
その頃は必死だったんですね。もうちょっと周りを見渡してもいいのに…と今の私なら思います。

でも、良いこともありました。その後がとてもシンプルになったのです。
なぜ、鼻がたれているのか、咳をするのか、熱が出るのか、湿疹が出るのか、顔色が悪いのか、その因果関係がシンプルに見えるようになり、食べ物をちょっと気をつけたり、簡単な「おばあちゃんの智恵」みたいな手当てで、すぐ良くなるのです。
自分の手で、自分の出来ることで、娘の身体の手当てが出来るようになってくると、心の余裕が生まれ、娘と私との関係も少しずつよくなっていったように思います。

また、健康な肌でツルツルになっていなくても、湿疹が出ていたり、カサカサしていても、それを悪いことだと思わなくなり、あまり自分を責めなくなりました。いろんな症状が私にいろんなことを教えてくれる、ありがたいサインのように思えてきたのです。
そのうち症状がでてくるとまたひとつ身体が丈夫になる、大きくなると思えるときもあって、応援したくなってきます。手当てしている最中に、頑張れよ~と自然に言葉が出てくるときもありました。(疲れてくると、無言でただこなす感じでしたけれどね

でも傍から見ると、娘は身体が弱く、私は神経質な母親と見えていたと思います だけど、病名がつくような病気は、生後6ヶ月のときに水疱瘡になった以来、小学4年生のときに中耳炎になるまで、まったく無く、インフルエンザにも罹らず、おかげさまで病気知らず、病院知らずでこれました。これは本当にありがたいことです。その後自分の手が届かない、自分ではどうしようもないというような病気を抱えた赤ちゃんのお母さんに出逢いましたが、その方は直接赤ちゃんに触れての手当てはできなくても、今、自分が出来ることを精いっぱいされていて、尊いなぁと思いました。

理想は、肌身離さず、スキンシップを充分とって、優しい母性あふれたお母さん…なんてことでしょうが、そんな完璧なお母さんなんて…私は…無理、無理…。

自分なりに自分に出来る精いっぱいで日々頑張っているお母さんたちに、子どもたちに代わって伝えたいです。

お母さん、大好きだよ。ありがとう

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朝陽に輝いて

急に冷え込みましたね…

今朝は真っ白な富士山がよく見えます。

20091103_002

アメジストセージのしずく

20091103_009

エニシダのダイアモンド

朝陽にしずくがとってもきれいです。

今日も1日 穏やかな日でありますように♪

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リンク 20091102

リンク集をアップしました

「子どものアトリエ☆ネバーランド☆通信」
http://uji0080.blog57.fc2.com/

ゆるり色々彩り~アトリエ ゆるり~
http://yururi-color.blog.so-net.ne.jp/

どちらも、提携アトリエ主宰仲間です。年に何回か集まって勉強会をしています。ぜひぜひこちらものぞいてみてくださいね

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ハロウィンの夜に

2小節間 

8つの音符

・・・・・

  弾く人によって、歌う人によって

   そこから ただよってくる 香りが違う・・・

・・・・・

たった20秒にも満たない 響き を 聴く

・・・・・

 ・・・♪・・・♪・・・♪・・・

・・・・・

自分の愚かさ、未熟さ、いたらなさに気づかされる。

・・・・・

今を生きるって こういうことだって、

うまく言葉にはできないけれど

そういう感覚が、響きとともに伝わってくる

・・・・・

沈黙の中にとどめておきたいが

なんとか言葉にしようと

無駄にエネルギーを使ったり、

喋りたくなってしまう私も

まぁ、よしとしよう…

 ☆・☆・☆・☆

今日11月1日は、ケルトの文化では新年。

新しい1年の始まり。

またこころ新たに。

こころの奥に響く  どんな音に出逢えるのだろうか?

楽しみです。

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