わたし流子育てのスタート
山西先生に教えていただいたことをひとつの「物差し」にしながら、娘と私の「わたし流子育て」の人体実験編の始まりです
肌の色、肌の状態、顔色、鼻水、目やに、尿、大便、表情や呼吸の状態など、細かく観察。新生児の娘の頭蓋骨が、日々変化して大きくなっていくことに感動して、どの瞬間も記憶にとどめておきたい!と思ってしまうような私には、観察することは楽しかったし、幸いなことに、20分ごとに授乳するため、負担なく1日何回も観ることができたのです。そのたびに、手当てを少しずつしていきます。先生に教えていただいたとおりだったこともあれば、そうじゃないこともありました。アトピー性皮膚炎がひどくなったときはもちろんのこと、日々のちょっとしたことで気持ちがブレることもありましたが、徐々に「娘」を真ん中にした、彼女の育ちを信じられるような生活になってきました。
ある日のこと、相変わらず私にひっついている娘の頭をなでながら「あなたの体温で温めてあげるのよ。」と先生に言われました。娘は生後すぐから、手足がとても冷たくなっていることが多かったのです。
「そうか! 【スキンシップを求める=母親の愛情不足】だけじゃないんだな!」とわかったのです。このときのように、体温が低くて体調が悪いから、抱っこを求めることだってあるのですね。それからは世間のいろんな声も気にせず、安心して、抱っこしていられました。
それから、もうひとつ。私自身も、娘と一緒に健康になっていくことが大事なんだと直感したのです。実は、私も低体温だったので、もしかしたら二人でお互いを温めあいっこしていたのかもしれません。私が低体温だと母乳も冷たくなります。冷たい母乳を飲んでも、娘の身体は温まらないよなぁ…。娘のことを何とかしてほしくて相談所に行ったのに、私が手当てを受けることに疑問だったのですが、このように徐々にその理由がわかってきました。
だんだんと娘が同士のように感じられてきました。もちろん親としての責任はありますから、娘に甘えるようなことはしたくないですが、かといって責任という名の、親のエゴに都合の良いコントロールもしたくない。娘は、こんなに小さいけれど、彼女は彼女の人生を生きていると、娘の人格を尊重することは忘れないように心がけようと理想だけは高く持ちました。けれど実際どうしたらいいのか、そのときはちっともわかっていなかったですね…。またまた、<権威ある立場の人>である、娘に学びながら、こちらも試行錯誤です。
1歳の誕生日前後、自分なりに頑張ってきたにもかかわらず、相変わらず機嫌が悪いことが多いし、一度よくなったアトピー性皮膚炎がまたひどくなってきて、さすがに凹みました。
もう、何もする気もおきなかったのですが、せめて抱っこくらいは…。そしてただただ泣いている娘の顔をじっと見ることで精いっぱいでした。
どれくらい泣かせたままにしておいたのでしょうか…。
娘の泣き声が、「私をみて!私をみて!私自身を見て!」と言って泣いているかのように、いきなり聴こえてきました。
そのとき、ハッとしたのです。
私は、確かに娘の肌の状態など、娘の身体の表面的なことはよく観て、それなりに頑張って一喜一憂してました。だけど、娘が本当に心の底から望んでいることは、そのこと以上に大切なことであって、それを見てほしくて泣いているのか? それは目に見えないことだったりするのか?
でも、どうしたら、いいのだろう?
ちっとも答えは出ませんでしたが、心がけることや、その意識を持ち続けることは出来ると思い、そういう視点も自分の中にもちながら、娘と日々過ごすことにしました。
そして、さらに。
「私を見て!私を見て!私自身を見て!」という言葉は、私のインナーチャイルドの声でもありました。これもどうしたら、いいものやら、ちっともわかりません。こちらは向かい合うタイミングがくるまで、しばらく時間がかかりました。それは、また別の機会に。
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